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イエスとイエス・キリストの違い
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「イエス様の御名によって」祈る時と「イエス・キリストの御名によって」祈る時の違いは非常に大きい。 ...
       
 
  
 

実を結ぶ 人生

万民ニュース   第 183 号
3629
2018. 01. 28


農夫が実を刈り取るために、種を蒔いて刈り取る作業がなければならないように、霊的にも、まず蒔いてこそ刈り取ることができる。どんな状況でも喜ぼうと努め、喜びの種を蒔くほど喜びの実が結ばれて、いつも喜んでいることができる。また、すべてのことに感謝の条件を見つけて、心から感謝するとき、感謝できる恵みが加えられ、感謝の条件が多くなる。祈りもどんな状況でも努めて蒔いていくとき、より大きい祈りの力と答えを実として刈り取ることができる。これまで自分がどう蒔いて刈り取ったのか、三つの分野で調べてみよう。


どんな状況でもいつも喜んでいますか?

私たちの中に救いの喜びだけ満ちていても、どんな状況でもいつも喜んでいることができる。永遠の地獄の刑罰から抜け出して、想像できない天国の栄光を下さり、全能の神を父と呼ぶ、驚くべき祝福をいただいたからだ。

使徒パウロは福音を伝えながら数えきれないほど迫害されて苦しみを受けたが、誰も彼の心にある喜びを奪うことができなかった。むちで打たれて牢に閉じ込められていても、かえっていつも主にあって喜びなさいと勧めた(ピリピ4:4)。

ひょっとして現実の困難によって受けた恵みを忘れたり、つらくて気を落としたり、肉の思いに縛られて聖霊に満たされなくなって、使命を手放し、避けようとしてはいないか、いるべき場所にはかろうじているが、いやいや使命を果たしてはいないのか、自分をチェックしてみられるように。神の恵みと天国への希望が心にぎっしりあれば、どんな瞬間も喜びが泉のように湧き上がるので、困難がすみやかに祝福に変わって、霊的にもさらに早く成長できる。


神の愛を信じてすべてのことに感謝していますか?

創造主の神、最も良いものだけ下さる父なる神を信じるならば、どんな試練に会ってもただ感謝できる。自分の欠けているところのゆえに真理にあって完全に行えなかったとしても「神様が私を愛しておられる」という事実と「私のすべての事情を知っておられ、すべてにおいて勝てる力を下さること」を確信するので、最後まで信仰によって感謝すれば、すべてのことを働かせて益としてくださり、祝福に変わるのだ。

もし不平不満を言って悲しんでつぶやくならば、どれほど信仰とかけ離れているのかを悟らなければならない。信仰があるならば、自分が欠けているほど、弱い者を強くして完全にしてくださる神の力に感謝できるし、現実が困難なほど、祝福を下さる神のゆえに感謝できる。そうするとき、神は、どんな状況でも完全に感謝の告白だけする心に結ばれた感謝の実をご覧になって、その信仰のとおりに答えて、祝福の実を刈り取るようになさるだろう。


行いのある信仰をもって絶えず祈っていますか?

「神様とお話をする」祈りの時間がつらくて負担になるならば、神を愛することではないので、祝福の実を刈り取ることはできない。もしよく祈れなくて停滞しているようだったら、どれほど喜んで感謝しているかを顧みられるように。

いつも喜んでいて感謝する人は必ず聖霊に満たされて祈るようになり、さらに深い次元へと突き抜けて行く。祈りがつらくて大変な時ほど、さらに神の恵みに渇いて祈るようになり、さらに切に主を呼び求めて強くされるよう求めるので、一段階、一段階、霊的に突き抜けて行くのだ。

ひょっとして祈っていても祝福されないようならば、それだけ信仰の行いが足りないということを悟らなければならない。行いが伴ってこそ、神がともにおられて祝福してくださり、大きい器に作っていかれるので、時が来れば、さらに大きい答えと祝福をいただくことができる。喜びと感謝とともに、行いのある信仰をもって絶えず祈り、霊肉ともに美しい実を刈り取られるように。



 

 

 
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