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「伝道の実を豊かに刈り取る秘訣
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3276 |
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2017. 03. 26 |
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福音を伝えることは救われた聖徒に向けられた神のみこころであり、至上命令だ。愛する弟子たちへの主の最後のご委託も、福音を伝えなさいということだった(マタイ28:18〜20)。使徒パウロは「というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。」と告白した(第一コリント9:16)。それなら、昔の信仰の人々が神を愛して伝道の実を完全に結ぶことができた秘訣は何だろうか?
一つ 聖霊に満たされること
使徒の働きを読むと、イエス様が天に上られた後、毎日祈りに専念していて、炎のような聖霊のバプテスマを受けたペテロが説教すると、一日で弟子の数が三千人も加えられ、生まれつき歩けなかった者の手を取って立たせると、歩いたりはねたりした。また、大祭司や律法学者でさえ反論できないほど流暢で権威をもってイエスがキリストであることを証しし、自分が主とともにいながら見聞きしたことを大胆に伝えた。
実はペテロが聖霊のバプテスマと火のバプテスマを受ける前には、人々を恐れて女中の前でもイエス様を知らないと三度も言った。だが、聖霊を受けて神の力を受けると、生ける神とイエス・キリストを地の果てにまで大胆に伝える主の証人になったのだ。
伝道は十字架のことばと天国など、イエス・キリストを通した福音を伝えることだ。最初の人アダムが罪を犯したことによって闇の勢力に奪われた神の子どもを取り返して来る霊的な戦いである。したがって、聖霊を受けて火のような祈りを通して聖霊に満されてこそ、神が下さる知恵と力で数えきれない魂を救うことができる。
ある人は内気な性格だから伝道できないと言ったりする。だが聖霊に満たされれば、誰でも福音を伝えなくてはいられない心になる。聖霊に満たされて燃えるような心になって伝道に努めなければならない。
二つ 聖霊の声を聞いて導かれる
伝道は、聖霊に導かれて神のみこころのうちにしていくことが非常に大切である。そうでない時は、いくら熱心にしてもそれほどの実を結ぶことができず、かえってみこころと反対になる方向に向かうこともあるからだ。したがって、みこころのとおり伝道をするためには、一瞬一瞬心のうちにおられる助け主聖霊の声を聞いて導かれなければならない。
「こうすれば伝道できるだろうか、できないだろうか?この話を伝えれば信じるだろうか、信じないだろうか?」と心配するのではなく、聖霊が働きかけられるまま大胆に口を開いて、イエスが救い主であるということと、創造主なる神の力を宣べ伝えなければならない。また、それぞれの状況に合うように、聖霊の働きのうちに上からの神の知恵をいただくことも大変重要だ。ある人には天国と地獄を伝え、ある人には病気がいやされた証しをしなければならない。またある場合は、物質が祝福された証しをするとき、心の戸を簡単に開くことができる。
このようにひとりひとりに最も必要なみことばを聖霊に導かれて伝える時でこそ、すみやかに心の戸が開かれて、霊の信仰といのちが植えつけられ、伝道の実を完全に結ぶことができる。そのためには神のことばと祈りとによって自分の心をきよく変えさせなければならない(第一テモテ4:5)。
三つ すべての点で模範になる生き方
<テトス2:7〜8>には「また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことが言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう。」とあるので、聖徒は自ら信仰の模範を見せて、神と人の前で堂々として、敵である悪魔・サタンが訴えられないようにしなければならない。
伝道をよくしている人のほとんどは普段から自分がいるところでキリストの香りを放って、周りの人々の心をつかむのが見られる。ことばや口先だけで愛していると伝えるのではなく、行いをもって隣人愛の模範を見せ、他の人が困っているのを見ると、自分のことのように力いっぱい助ける。さらにへりくだって、すべての人に先に仕えることを願って相手の利益を求める。このようにすべての点で徳と愛の心で真実に行う人が伝道するとき、相手はその話に耳を傾けるようになる。
また、伝道した人の生き方を通して神のみこころを学んで見習い、自分も次第に真理を知って信仰が成長し、麦の聖徒として出て来るのが見られる。まるで家庭に赤ちゃんが生まれれば、親の言葉と行動を聞いて見て成長するように、教会で信仰生活を始めたばかりの初心の者も、ほとんどが自分を伝道した人の信仰を見て学ぶので、すべての点で模範になる生き方が大切なのだ。
四つ いのちを燃やして忠実である熱心
使徒パウロは誰よりも苛酷な苦しみと迫害を受けながら福音を伝えたが、魂の救いへの熱情が決して冷めなかった。すべての人を救うために木の十字架にむごたらしくかけられて死にかけていながら「わたしは渇く」と切ない心で言われ、今も人の子らのために何も召し上がらないで祈っておられる主の心を知っているならば、使徒パウロのように熱情的に福音を伝えられる。
聖書を読むと、ある人たちはあざけられ、むちで打たれ、ほかの人たちは鎖につながれ、牢に入れられる苦しみを受けたし、ほかの人たちは石で打たれたり、乏しくなければならなかった。剣で切り殺され、のこぎりで引かれなければならなかったし、猛獣の餌食になるかと思えば、十字架につけられたり火で焼かれて殉教したりなど、命を失った聖徒は数えきれないほどだ。このように魂の救いのために物質と時間、心を尽くしてささげる生き方をするなら、神は必ず栄光を受けるよう報いてくださる。
伝道を通して多くの人を義に導いて、天国で太陽のように輝く栄光の座にまで至られるように。「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(第二テモテ4:1〜2)
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