神は愛する子どもたちに、たましいに幸いを得ている祝福、すべての点でも幸いを得、また健康である祝福を与えることを望んでおられる。ところで、神の公義は蒔けばその刈り取るもするということであり、蒔くとしてもその方法を知って正しく蒔いてこそ良い実を刈り取れる。はたして神が喜んで祝福なさる方法は何か、八つの秘訣を紹介する。
1. 心の割礼をして肥沃な心の地を備える
何かを蒔いても、実として刈り取るためには、必ず信仰によって蒔くものの、信仰が大きいほど豊かな実を刈り取ることができる。ところで、心が聖められたほど、神が大きい信仰を下さる。つまり、心を割礼して罪と悪を脱ぎ捨てるほど信仰が成長して、大きい祝福をいただけるのだ。
したがって、物質の祝福はもちろん、心の願い求めまで答えられるためには、何より心の割礼をしなければならない。<第三ヨハネ2>にあるとおり、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康である祝福が臨むからだ。
2.良い種、すなわち完全に主日を守ることと十分一の献金をことごとく蒔く
主日を守ることは神の霊的主権を認めるということであり、イエス・キリストを信じる神の子どもであることを証しする最小限の行いだ。十分の一献金は、収入の十分の一を神の御前にささげることで、すべての物的な分野で神の主権を認める行いだ。
これを通して神の主権を認め、信仰によって求める時でこそ、神も祝福を与えることがおできになる。これを行わなければ、敵である悪魔・サタンが試練や患難をもたらしても、守ってくださることがおできにならないからだ。
3.欲を捨てて神の栄光のために求める
むさぼりがあれば、不労所得や一攫千金の誘惑に乗り気になってだまされやすい。したがって、むさぼりを捨てて(マタイ6:24)、この地上で手に入れて楽しもうとする欲からではなく、神の栄光のために求めなければならない。
そのためには自分のものではないならば欲しがってはならず、目標を定めて神に求めるものの、公義にかなうように祈って、御霊に働きかけられなければならない。自分の意欲が先立って、何が何でも全部やりたい心は御霊の声を妨げる欲になることがある(ヤコブ4:2〜3)。
4.信仰によって正道を歩んで誠実に働く
神のことばどおり生きながら正道を歩んで誠実を尽くせば、必ず神が報いてくださる(コロサイ3:23〜24)。一方、いくら真理をたくさん知ってよく祈るとしても、正道を歩まなければ、神が祝福をお与えになれない。人の前でも正直で誠実な人でこそ、神の御前に真実だと認められることができるからだ。
特に心に留めることは、教会の中で信仰の兄弟間で金銭の取引をしてはならず、決して保証人になってはならないことだ(箴言6:1〜5,11:15,22:26)。祝福されるためにはもちろん、災いを避けるためにも、このようなことがあってはならない。
5.まめに豊かな種を蒔いて豊かに刈り取る
<第二コリント9:6〜7>に「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」とある。
広い土地を持っている農夫だとしても、蒔いた分、刈り取ることができる。霊的にも、まめに豊かに蒔く時でこそ、その祝福をはっきり実感できる。ところで「豊かに蒔く」という意味は単に大きい金額のことだけではない。神が受けようとされるのは物質そのものでなく、心の香だからだ。
6.最後まで信仰と行いに移り変わりがない
農夫が種を蒔いておいて、願う実が見えないからといって土をひっくり返してしまうなら、その間の労苦が無駄になるだろう。このように神の御前に蒔いて育てておいて、願うとおり刈り取れなければ不平を言って、信仰によって求めて行うことを全くやめてしまうならば、実を刈り取れない。信仰によって蒔いて、神に喜ばれる行いで積んだとすれば、最後まで信仰によって望まなければならない。
また、神の御前に一度ささげると定めたことは必ずそのままささげなければならない(詩篇15:4;伝道者5:4〜5)。もし定めておいてそれを守らなかったとすれば、他の祝福を求める前に、まずそれから実行して罪の壁を壊さなければならない。
7.神が望んでおられ喜ばれるところに蒔く
神のみこころに従って蒔くとき、祝福される。もし罪を犯して神に懲らしめられている人に施しをするならば、かえって相手と一緒に訓練を受けることになる。また、サタンのしわざによって争いと不和があり、不正がぎっしりあるところに賛助するならば、神は祝福として刈り取るようにすることはおできにならない。
したがって、主にあって賢く見分けて、神が喜ばれるところに正しく蒔かなければならない。神が喜ばれるところや、神に喜ばれる人に蒔けば、喜びをもって刈り取ることができる(マタイ10:40〜42)。このように、蒔いたものはみな大いに祝福しようと望んでおられる神の御前に器を備えれば、神は三十倍、六十倍、百倍の祝福を下さるのだ。
8.霊的祝福を慕って神の国に忠実である
これは、変わらずに信仰生活を熱心にしなければならないという意味でもある。神は神の国に忠実であった人を決してお忘れにならない。霊的にまことに忠実である人ならば、体でする奉仕だけでなく、礼拝も霊とまことによってささげて、絶えず火のように祈るだろう。
神を愛して熱心で忠実に仕えるとき、神も決してそれをそのまま受けてだけおられず、必ず祝福を与えて、栄光を帰すようにしてくださる。ところで、物質的な祝福の前に、まず霊的な祝福を慕わなければならない。むなしい財物に目がくらんで、神に申し訳ないことする愚かな姿があっては決してならないからだ。
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