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訓練を通して麦のような聖徒になる方法

万民ニュース   第 150 号
5083
2015. 04. 26


農作物が風雨と熱い日差しに耐えて実を結ぶように、私たちも信仰によって訓練に耐え、麦になる過程を通して神の真実の子どもに変えられる。「大変だ、つらい」という肉の思いを捨てて、愛をもってすべてを信じて期待すれば、どんな訓練でも十分に耐えられる。結局、訓練は祝福であり、父なる神の愛なのだ。主にあって訓練を通して麦のような聖徒になる具体的な方法論を調べてみる。


第一_神の愛を最後まで堅く信じる!

<第一ペテロ1:7>に「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」とある。

神が聖徒たちを訓練されるのは、信仰生活を通して金のような信仰を持つことで、この地上での人生を終えた後、永遠の天国でとこしえに称賛と光栄と栄誉になることを切に望んでおられるからだ。

ところで、純金のような信仰を持つには、心の悪を捨てるために我慢しなければならないことも多いし、世と妥協しないで完全にみことばどおり生きようとすると、不当に苦しみを受けることもある。この時「私は神様に特別愛されているんだな」と、よりすばらしい天国に導こうとされる父なる神の愛を信じて感謝しなければならない。

また、神の愛を信じるが、最後まで信じなければならない。信仰の試練が長くなるとき「なぜ神様は助けてくださらないのだろうか。本当に私を愛しておられるのだろうか」と疑うならば、あきらめたくなったり、つぶやいて不平を言うこともあるので、神の愛をもう一度堅く心に刻んで忍耐しなければならない。

<ヤコブ1:4>に「その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」とある。神の愛を最後まで信じて忍耐すれば、結局完全な人に変えられる。訓練は細やかに関与してくださる神の愛であることを悟ってこそ完全に忍耐できるし、信仰によって尊い実を結べる。


第二_希望を生み出す近道であることを信じる!

<ローマ5:3-4>に「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」とあるとおり、訓練は希望を生み出す近道のようなものだ。「いつ変えられるのだろうか」と思うこともあるだろうが、訓練によく耐えて、変えられてはまた変えられていけば、結局神に似せられた完全な子どもになれる。

したがって、訓練がやって来れば、避けないで、必ず通り抜けようと努力しなければならない。人の心はいつも平坦で、もうちょっと楽な道に行くことを願うが、訓練を避ければ、それだけ目的地に着くのが遅くなることを覚えておかなければならない。

ほとんどの場合、会うたびにことごとにけちをつける人がいるならば、その人に会いたくないだろう。こんな時にもその人を避けずに、積極的に近づかなければならない。その人に近づいていけばぶつかるかもしれないが、その時のつらさを希望をもって忍耐し、相手のことを本当にわかってあげて赦す心になろうとするとき、神の恵みのうちに変えられることができる。

このように訓練は希望へと向かって行く道にある飛び石になるし近道になる。本当に神の真実の子どもに変えられたいと願うなら、訓練がやって来るたびに近道に出会ったと思って、喜んで大胆にすべてを耐え忍んで、希望に向かって力強く信仰によって前進するように。


第三_良いことだけ思って良いことだけ行う!

ある人は「なんでみことばどおり行ったのに状況が変わらないで、神様が働いてくださらないのだろうか」と神様につぶやいて不平を言ったりもする。人が見る時は熱心に忠実に仕えて祈っているようだが、その心には相変わらず悪があるので、状況が変わらないのだ。したがって、訓練がやって来るほど、良いことだけ思って、良いことを行ってこそ勝てる。

ダニエルは世と妥協しないでみことばのとおりだけ生きていたのに、悪い者たちの謀略、中傷にあい、獅子の穴に投げ込まれるようになった。だが神を恨んだり気を落とさなかっただけでなく、王に恨みや嘆きを口にしたり、謀略した者たちに同じように悪で対応しなかった。

獅子の穴に投げ込まれる最後の瞬間まで、ダニエルは良いことだけ行うと、神は御使いたちを遣わして獅子の口をふさいで、髪の毛一本傷つかないように守られて、計略をめぐらした悪い者たちが代わりに獅子の餌食になってしまった。

このように悪い者に善をもって対することが愚かに見えるかもしれないが、霊の世界の法則を知るならば、ただ良いことだけを行うことが最も賢いし、祝福の道なのである。現実的に見れば、試練や患難は人や環境のせいでやって来るように見えるが、霊的に見れば、すべての信仰の試練は敵である悪魔・サタンがもたらすものだ。

したがって、人でない敵である悪魔・サタンと戦って勝たなければならない。このような霊的な戦いで勝利するには、霊の世界の法則に従って戦うべきだが、これは結局、善をもって悪に打ち勝つということだ。

<ローマ12:21>に「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」とあるとおり、善を行えば当座は負けるようだし、損をするようだが、人間の生死禍福は正しくいつくしみ深い神が霊の世界の法則のとおりつかさどっておられるので、必ず善が勝利する。したがって、どんな試練や患難、迫害がやって来ても、ただ良いことだけ行えば十分に勝てる。

もし神を信じない家族が迫害するなら、信仰によって良いことを行ってこそ、すみやかに迫害が退いて、家庭が福音化される。「なんであんなに悪いのだろうか」と思って、迫害している家族を説得して勝とうとすれば、試練はもっと大きくなったり長くなることがある。

こんな時であるほど、まず愛をもってその人のために祈り、主にあって仕えて、家族の心が動くために努力しなければならない。また、どんな状況でも良いほうに思って、信仰の告白をしてこそ、神が敵である悪魔・サタンを退けてくださり、家族の心をつかさどって最もふさわしい時に答えてくださるのだ。


 

 

 
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