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善悪の知識の木に込められた神様の摂理と愛

万民ニュース   第 139 号
5664
2014. 05. 25


Q 最初の人アダムとエバは神様が禁じられた善悪の知識の木の実を食べて、滅びに向かったと聞きました。神様は全知全能なので、彼らが不従順の罪を犯すことをあらかじめご存じだったはずです。それでも善悪の知識の木を生えさせた理由は何か知りたいです。

A しばしば人は「なぜ神様は善悪の知識の木を生えさせて、人を滅びの道に向かうようにされたのでしょうか」と聞きます。それどころか「神様はたぶんアダムがその木の実を食べるとは思われなかったのでしょう」と言ったりもしますが、はたしてそうでしょうか? 決してそうではありません。神はアダムがその実を食べて罪を犯すようになることを初めからご存じでした。それで、すでに世を創造される前から、罪人になった人類を救う道も備えておかれたのです。つまり、イエス・キリストを世界の始まる前から備えておかれたのです。それでは、善悪の知識の木に込められた神様の摂理と愛とは何でしょうか?


最初の人アダムとエバが自由意志に従って善悪の知識の木の実を食べた結果

最初の人アダムは豊かなエデンの園で神様について、霊の世界について、真理と善と光について、多くの霊の知識を学び、万物を治められる知識も教えられました。万物の霊長として驚くべき知識と知恵で万物を治めるだけでなく、多くの子どもを生んでふえました(創1:28、2:19、3:16)。ところで、神様が禁じられたのはただ一つ、エデンの園の中央にある善悪の知識の木からだけは取って食べてはならないということでした。

<創世記2:16-17>に「神である【主】は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』」とあります。

神様は最初の人アダムを創造して、自分の意志に従って行えるように自由意志を与えられました。そして、豊かなエデンの園で永遠に生きられるようになさいました。けれど、アダムは土地のちりで形造られ、鼻にいのちの息を吹き込まれて生きものとなった存在でした。それで、もし神様のことばに聞き従わなければ、永遠に生きられないということを心に留められるように、神様はエデンの園の中央に善悪を知るようにする木を生えさせて、戒められたのです。

最初の人アダムとエバは数えきれない歳月の間、神様のことばに聞き従って、善悪の知識の木の実を食べませんでした。ところが、歳月が流れると、次第に神様の命令を心に留められなくなりました。エバがふだんから親しかった蛇に惑わされて、自由意志に従ってその実を取って食べ、アダムにも与えて食べるようにしたのです。その結果、神様が「必ず死ぬ」と言われたとおり「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)という霊の世界の法則に従って、罪の代価を払うようになりました。

神様が「必ず死ぬ」と言われたのは、霊、たましい、肉で造られた人の主人である霊が死ぬことを意味します。「霊が死んだ」とは、霊そのものがなくなったという意味ではなく、神様との交わりが途絶えて、本来の活動ができなくなったという意味です。このように人の霊が死ねば、結局人のからだも死を迎えるようになります。

ところで、最初の人アダムが罪を犯したことによって、アダムだけが呪われたのではありません。子孫までも罪人になり、死に至るようになりました。アダムの支配下にあったこの地上の万物も、ともに呪われるようになり、アダムは苦しんで汗を流して土地を耕してこそ、食糧を得られるようになったのです(創3:17)。また、呪われた土地には、前になかった病気と害を与える生物なども現れて、人々は敵である悪魔がもたらす試練や患難の中で多くの苦しみを受けるようになりました。蛇は腹ばいで歩くという、さらに大きい呪いを受けました(創3:14)。


相対性を体験するようにしてまことの幸せを与えたいと願っておられる神様の愛

神様がエデンの園に善悪の知識の木を生えさせた理由は何でしょうか?それはまことの幸せを与えるためです。最初の人アダムが生きていたエデンの園は非常に美しくて安らかで、乏しいことのない所ですが、まことの幸せを感じることができませんでした。不幸を体験しなかったからです。病気や死、事故などを体験したことがなく、それによって悲しみと苦しみにあったこともなかったのです。死もないから別れというものも知りませんでした。

人があることのまことの価値を悟るためには、それと反対になることを体験して、相対性を知らなければなりません。そのように、まことの幸せを知るには、いろいろな困難を経て、幸せのまことの価値を知らなければなりません。病気にかかって苦しみを経験すれば、健康の重要性を心の底から悟って感謝するようになります。飢えを知ってこそ豊かな食べ物についての感謝が出てきて、悪があってこそ善がどれほど良いのか、闇があってこそ光がどれほど尊いものなのかを知ります。また、貧しさを知らなければ富んでいることに感謝することも知らず、憎しみがなければ愛がすばらしいものであることも知らないのです。

最初の人アダムも不幸が全くないエデンの園で生きていたので、自分の幸せを悟れませんでした。死を体験したことがなかったので、善悪の知識の木の実を食べれば必ず死ぬと言われても、その本当の意味を悟れませんでした。神様がアダムを非常に愛してすべてのものを与えてくださったのに、心から感謝できなかったのです。

しかし、罪を犯したアダムは、エデンの園から追放された後、いろいろな苦しみを経験しました。空腹と疲れ、寒さと暑さ、死、別れ、そして罪と悪による悲しみと苦しみを経験しながら、エデンの園で生きていた時がどれほど幸せだったかをやっと悟ったのです。このように、被造物である人は体験しなくては相対性を悟れないので、神様は善悪の知識の木を生えさせることで相対性を悟れるようになさったのです。

私たちも土地のちりで創造された最初の人アダムの子孫なので、この地上で耕作の過程を経た後に、天国の暮らしがどれほど良いのか心から悟れます。何の罪もなく不幸もない天国がどれほど良いのか心から感じられるので、天国を下さった神様に感謝しながら、とこしえに喜びと楽しみの中で生きていくのです。

イエス・キリストを受け入れて、まことの信仰と天国の望みがある人は、この地上でどんな生き方をするとしても、ただ感謝と喜びだけがあります(第二コリント4:17-18)。罪の問題を解決してくださった主の愛を悟るとき、天国の望みの中でまことの幸せを味わうようになるのです。


 

 

 
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