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帰ってきた放蕩息子、ぼくの若さを燃やして主にささげたいです

万民ニュース   第 132 号
6199
2013. 10. 27


ソ・テメン兄弟(4青年宣教会)


ぼくの名前には格別な意味があります。聖書の創世記1章1節の最初の文字「初めに」という意味の単語「テッチョエ」の「テ」と、ヨハネの黙示録22章21節の最後の文字「アーメン」の「メン」を取ってつけられた名前「テメン」だからです。
ぼくはクリスチャンの母から生まれましたが、長い間、信仰とはかけ離れた生き方をしていました。高校2年生頃からアダルトものに接したぼくは、大学生になって酒、女、ゲームなど、ますます抜け出せないどん底に落ちていきました。罪に対する報いだったのでしょうか。軍に入隊した2005年から全身に広がったアトピー性皮膚炎は、何と7年間ぼくを苦しめました。また、右膝の軟骨が損傷するけがをした後は、朝起きたら膝の軸が曲がっていたり、雨が降りそうだとずきずき痛んでつらかったです。


虚しい放蕩生活から、たましいを砕いて罪を告白する恵みが臨む

特に2012年7月には不整脈がひどくなって、まるで全力疾走をしている人のように心臓の拍動が速くなりました。こうしていては死ぬかもしれないと思いました。一難去ってまた一難、薬を飲みましたが、副作用で全身にじんま疹が出ました。それでステロイド剤を服用して、じんま疹は収まりましたが、そこに前よりもっと深刻なアトピー性皮膚炎が広がったのです。鏡に映ったぼくの姿はまるで化け物でした。
ちょうど当時の指導教師、ギ・ミョンスク伝道師先生が訪問して、夏のキャンプに参加するように勧められ、堂会長イ・ジェロク牧師先生の説教「十字架のことば」を聞いてみなさいと言われました。心が貧しくなってはじめて世の歌のファイルを削除して「十字架のことば」をMPプレーヤーに入れて聞きました。その時やっと説教が心に届いて、恵みを受けたのです。
2012年8月、夏のキャンプに参加したぼくは、初日の夕方集会の時、教職者会長イ・スジン牧師先生のメッセージを聞いて、どんなに放蕩な生き方をして、絶対してはならないことをしたのか悟りました。続く祈祷会の時に、滝のように涙と鼻水が流れて、ずっと神様に「申し訳ありません」とだけ言っていました。
キャンプを終えてすぐ、コンピュータに保存してあったアダルトものとゲームのファイルを削除した後、各種の礼拝に参加して、毎晩あるダニエル徹夜祈祷会で祈り始めました。


あらゆる病気がいやされて神様の愛を体験すると

その後、神様は驚くべき愛を表現してくださいました。一週間、まるで自分のからだに扇風機の風が吹いて熱が出ていくような感じがすると、7年間ぼくを苦しめていたアトピー性皮膚炎がなくなったのです。また、膝の軟骨損傷で絶対にひざまずけなかったのですが、それでもひざまずいて祈っていたら、ある瞬間から痛みがなくなりました。一緒に不整脈もなくなりました。ハレルヤ!
今年の前半期にあった「2回連続特別ダニエル徹夜祈祷会」の最終日、ラッキー券抽選では賞をいただいて、神様の愛をもう一度体験しました。またイ・ヒソン牧師先生が伝えてくださった地獄の惨状を聞いて、地獄に行くしかなかったぼくに御手を差し伸べてくださった父なる神様の大きい愛と恵みに、涙で前が見えませんでした。
8月、マンミン夏のキャンプの時は、教会の公式ブログ「m-story」の撮影奉仕をしながら、堂会長先生に近くでお目にかかれる機会がよくありました。堂会長先生に祈りを受けていやされた方々が証しをするとき、明るく笑って幸せそうにしておられる姿と、聖徒が主に似せられるように最善を尽くして献身されている濃い愛に、とても恵みを受けました。
誰かがぼくに、30年の人生で一番幸せだった時がいつかと聞くなら、「まことの信仰生活をするようになった去年一年間です」とためらわずに答えるでしょう。今はただ神様の栄光のために生きて、映像製作の才能を生かして、数多くの魂を救えるコンテンツを作りたいと思っています。新しいいのちを下さった三位一体の神様にすべての感謝と栄光をお帰しします。


 

 

 
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