光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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あなたのみことばはともしび、光です_ 「神は光であって」シリーズ8
万民ニュース
第 201 号
3957
2019. 07. 28
堂会長イ・ジェロク牧師
「私は老人よりもわきまえがあります。 それは、私があなたの戒めを守っているからです。…あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」-詩篇119:100〜105-
神の戒めを守ればわきまえが得られ、行く手が明らかに見えるのでさまよう必要がなく、近道をすみやかに見つけて行くので神に大いに栄光を帰すようになる。
人生の旅路で、時には死の陰の谷間を歩くことがあったとしても、いつも行く手を明るく照らしてくれる光があるなら、恐れたり心配したりする必要がないだろう。まして光そのものであられる神が私たちの行く手を明るく照らすともしび、光となってくださるなら、少しも立ちふさがられることなく、つらいことも全くない。
それでは、私たちはどうすればあらゆる試練と患難から救い出されて、いのちと平安に至ることができるだろうか。神の戒めを守ればわきまえが得られ、行く手が明らかに見えるのでさまよう必要がなく、近道をすみやかに見つけて行くので神に大いに栄光を帰すようになる。
1. 人生のともしびと光になる神のことば
<詩篇119:100>に「私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。」とある。「わきまえ」とは、霊的に道が明らかに見えることを意味する。すなわち、神の戒めを守る人は道が明らかに見えるので、老人よりもわきまえがある、ということである。
それでは、神の戒めを守る人にわきまえがあることを老人と比較する理由は何だろうか。ここで「老人」とは、単に年が多い人を意味するのではなく、人生の豊富な経験と知恵を通して物事の筋道をわきまえている賢明な人のことを言う。歳月が流れるにつれて人生の年輪が重なり、わきまえる力が優れている人を老人にたとえたのである。
このように人生経験が豊富な人にわきまえる道を提示されてもより良い生き方ができるのに、知恵の初めである創造主の神により頼むならどうだろうか。
神は全知全能なので、すべてのことを予知されるだけでなく、人生の初めと終わりを聖書に全部記しておかれた。だから、私たちが神により頼んで、そのみことばに従って行うとき、世のどんな道より確かでしっかりした道を行くのだから、決して崩れるはずがなく、左右に偏って揺るぐわけがない。
したがって、人生を価値あるように尊く使う方法は、何より神のみことばを足のともしび、道の光とするところにある。
2. 神のみことばが足のともしび、道の光になるには
第一、あらゆる悪の道から足を引き止めなければならない。
<詩篇119:101>に「私はあらゆる悪の道から私の足を引き止めました。あなたのことばを守るためです。」とある。ここで「足」と言うのは、私たちがどこに向かって行くかを決めるに従って、そのまま動くからだの部分が足だからである。すなわち足とは、霊的に、歳月の流れと人が何を追求していくかをはじめとして、人生の全般的な過程を意味する。したがって、「あらゆる悪の道から足を引き止めた」とは、悪事を計らず、加わらなかったし、ただ良いわざに努めた、ということである。
ユダの第10代王であるウジヤは16歳という若さで王位に上がって、統治の初期には善政を施してユダを繁栄させた。へりくだって神だけにより頼んだので、領土を拡張して周りの国々からみつぎものを受けるなど、ソロモンの統一王国以来最も栄えた国家を作り上げた。
ところが、神の恵みによって国が富強になると、高ぶって悪の道に足を踏み入れるようになった。祭司だけができることを越権して自分がしようとしたのだ(II歴26:16)。このことで神の御怒りが臨んで、彼はツァラアトに冒され、死ぬ日まで隔ての宮に住まなければならなかったし、死んだ後も王たちの墓地に葬られない、悲運の王になってしまったのだ。
これとは違い、ヨセフは悪の道から足を引き止めて、ただ神の御前に正しい道を守ったので、濡れ衣を着せられて監獄に入れられたが、かえって祝福が臨んだ。神が下さった知恵で王の夢を解き明かし、エジプトの統治者という地位にまで上がるようになる。このように悪から離れて、ただ神のみことばのとおりに行うとき、天から知恵が与えられ、何をしてもわきまえがあり、成功する道に導かれることができるのだ。
したがって、悪を避けることが神の戒めを守ることにおいて最も優先であり、老人よりまさるわきまえを得る方法であることを知り、悪はどんな悪でも避けて、へりくだって神だけにより頼む賢い聖徒になられるように。
第二、神の定めから離れてはならない。
<詩篇119:102>に「私はあなたの定めから離れませんでした。それは、あなたが私を教えられたからです。」とある。「あなたの定め」とは、代々守りなさいと仰せられた神の命令であり、一定の規則とおきてと制度のことを言う(出12:17;レビ16:34;I歴23:31)。神はイスラエルの民に定めを代々守るように命じられたが、これはただ彼らにだけ当てはまるのではなく、今日、神を信じるすべての人に同じように適用されるみことばである。
かといって、旧約時代にイスラエルの人々が行ったすべての儀式を、今日そのとおりにまねしなさい、と言うのではない。すなわち、旧約では肉の割礼をしたが、新約時代になったら心の割礼をするように、定めもやはり、その霊的な意味を継承して守ることが重要なのだ。
誰でもすべての神の定めから離れないで守っていけば、結局悪から離れることができる。人が神の定めから離れるほど、敵である悪魔・サタンが心に真理でないものと悪を満たすようになる。しかし、ただ真理である神のみことばで満たしていけば、心に真理でないものが積まれる間がないだけでなく、毎日聖で完全な人へと変えられるのだ。まさにここに、人が神の定めを守るべき根本的な理由がある。
北王国イスラエルの王アハブは以前のどんな王より悪い王で、異国の神々を拝み、はなはだ神の御怒りを引き起こした。反対に、同じ時代の南王国ユダの王ヨシャパテは神の目にかなうことを行った。一度はヨシャパテ王がアハブ王を助けて、アラムとの戦いに参加することになった。戦闘に臨むとき、アハブ王はひょっとして敵軍が自分が王であることを知って殺すのではないかと思って、変装までして群衆の中に入ったが、反対にヨシャパテ王は王服を着たまま戦う。ところが、激しい戦いのさ中、敵軍の手で死んだのはアハブ王だった。死んだ後には、エリヤが預言したとおり、その血を犬がなめるというはずかしめまで受けなければならなかったのだ。これはまさに神の定めから離れて悪を行う人の末路がどうなのかをよく示してくれる例である。
南王国ユダのヒゼキヤ王は【主】の目にかなうことを行って、神により頼んだ王である。神がともにおられたので、どこへ出陣しても勝利を収めた(II列18:6〜7)。一度はアッシリヤがユダを侵略して国が危うくなったが、この時、ヒゼキヤ王が神に祈ると、【主】の使いが出て行って、一夜の間にアッシリヤの陣営で18万5千人を打って、死体となるようにした(II列19:35)。
このように、神の定めを離れなければ、今後の事を見通せるようにわきまえが与えられ、またそれによって方法論を立てていけば、すべてのことに栄える道に導かれるのだ。
第三、神のみことばを蜜を食べることより慕わなければならない。
<詩篇119:103>に「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」とある。このように神のみことばを慕った聖書の人物としては、ダニエルが挙げられる。
ダニエルはユダ部族に属する王族で、紀元前605年、バビロンの王ネブカデネザルの第1次侵入の時に捕虜として連れて行かれた。ところが、バビロン帝国が融和政策の一環として、捕虜の中から王宮に迎えるにふさわしい少年たちを選ぶとき、ダニエルもそのひとりに選ばれて王宮に入ることになった。三年間、王が指定した王のごちそうを食べて、ぶどう酒を飲まなければならなかったのだ。
するとダニエルは、たとえ捕虜の身であっても神の御前に心を定め、身を汚さないために十日間、野菜を食べて水だけ飲むようにしてほしいと宦官の長に願う。王の食べるごちそうの中には、偶像に供えた物や忌むべき動物の肉など、神の禁じられた物があるのではないかと心配したからである。
それで十日間、試験的に行った結果、ダニエルの顔色が王のごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていて、結局王のごちそうを食べてぶどう酒を飲まなくてもよくなったのだ。このようにダニエルは永遠のいのちに至らせる神のみことばを蜜のように食べたので、その人生がまことに価値あって成功した。捕虜の身分から一国の大臣になるかと思えば、獅子の穴に投げ込まれたが害をこうむらず、かえって生ける神に大いに栄光を帰すことができたのだ。
ダニエルのように神のみことばをどんな蜜より甘くておいしそうに食べるなら、すなわち、世のどんなものより尊く思って行うなら、神のみことばがともしびであり、光になるので、あらゆる試練と患難から救い出されて、いのちと平安に至るようになる。
第四、偽りの道をことごとく憎まなければならない。
<詩篇119:104>に「私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。」とある。それでは、なぜ神の戒めによってわきまえのある人になれば、偽りの道をことごとく憎むようになるのだろうか。
神の戒めを守れば、そのみことばがすべての問題の答えとして与えられるので、道が明らかに見える。このようにわきまえを得て、正しい正しくないを正確に見分け、善と悪、いのちと死が区別できれば、自然に、真理を曲げさせて滅びに引いて行く悪を憎むしかなくなる。
たとえば、何も知らない幼子の時は、からだや服に汚物がついても別に気にしないで、ただ遊ぶことに余念がないが、次第に育ちながら知識を学ぶようになれば、汚物が汚いものと知って、水で洗うかぬぐい取ろうとする。このように汚いものときれいなもの、不潔なものと清潔なものを区別することはまことに重要である。
このような相対性の原理は霊的な世界でもそのまま適用される。すなわち、罪が何か、どれほど汚れていて醜いものかを知らない時は、自分の中に罪があってもそれほど深刻に思わない。しかし、真理のみことばに照らされて罪ととさばきについて悟るようになれば、罪を憎んで遠ざける人に変わるしかない。
それなら、私たちが主にあってわきまえのある者になってことごとく憎むべき「偽りの道」とは具体的にどんなものだろうか。
第一に、口から出る言葉において、悪い言葉、ねじれた言葉、真実でない言葉、逆らう言葉、欺く言葉、偽りの言葉、悪口、無益な言葉、つぶやく言葉などである。
第二に、人を欺くことである。たとえば、商売をする人が品物の代金をだまして不当な利益を取ったり、正しいことを正しくない、正しくないことを正しいと言ったりすること、約束を守らないことなどが人を欺くことである。
第三に、蒔かないところから刈り取ろうとすることである。自分が努力したこと以上のものを得ようとしたり、一攫千金を狙うこと、雲をつかむようなことを望むことなど、このすべてが神の公義を無視する道であり、結局神に嫌われるようになる。
ここで「偽りの道を憎みなさい」とは、わだかまりを抱くとか、怒りなさいという意味では決してない。霊的に悪を憎むということは、すなわち悪を捨てることで、善をもって悪に打ち勝つことであり、自分で復讐をしないで、神の御前にすべてをゆだねることを言うのだ。
また、罪は憎むものの、罪を犯した人については七度を七十倍するまで赦して憐れみを施し、孤児ややもめなど疎外された隣人の世話をすることなどが悪を憎むことである。このように偽りの道を憎んで、ただ真理に従って行ってこそ、からだもたましいも安全に守られる祝福を頂くことができる。
愛する聖徒の皆さん、
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」という告白が皆さんの告白になって、神を避け所としてすべてのことに栄えて、幸せで美しく、成功の人生を送られるように、主の御名によって祈る。
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