光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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人の子の肉を食べて、その血を飲んでこそ永遠のいのちを得る(2)
万民ニュース
第 191 号
2873
2018. 09. 23
堂会長イ・ジェロク牧師
「イエスは彼らに言われた。『…人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、
いのちはありません。…わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」 (ヨハネ6:53〜55)
人がこの地上に生きていながら生命を維持するには、食物を食べ、同時に水分を摂取しなければならない。水を飲んでこそ消化、吸収され、不必要な老廃物と毒素が排出されることができる。このようにイエス・キリストを受け入れて聖霊を受け、神の子どもとされたとしても、人の子の肉を食べ、その血を飲んでこそ永遠のいのちを得ることができる。
それでは、果たして人の子の肉と血をどのように飲み食いしてこそ永遠のいのちを得られるだろうか。前号に続いて調べてみよう。
1. 人の子の肉を食べて心に糧としてこそ
神の子どもが人の子の肉を食べて完全に糧とするには、必ず人の子の血を飲まなければならない。すなわち、聖書に記されている神のことばをまめに聞いて読んで知識として積むだけでなく、そのみことばを糧として、心に完全に臨むように行わなければならないのだ。
それでは、心に糧とするということと知識としてだけ入れることには、どんな違いがあるだろうか。頭に記憶されたものは忘れることがあり、真理を知識的に知っているからといってそのとおりに行えるのでもない。聖書を暗唱する時にも、口先だけで覚えるのではなく、その霊的な意味を繰り返し味わって心に糧としなければならない。
たとえば「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタ5:44)というみことばを心に糧としたとすれば、暮らしの中で行いとして出て来るのが見られる。敵が悪を行って自分を迫害する時も、愛と憐れみの心が湧き上がって来るので、神のことばどおりに愛し、むしろ相手のために涙で祈るのだ。もし人の子の肉を食べて頭に知識としてだけ入れているなら、気に障って相手が憎くなり、悪をもって悪に報いるしかない。だが、心に糧とした人は愛と柔和をもって行うので憎しみと憤りが抜けて行き、謙遜に行うので高ぶりが抜けて行く。すると次第に善をもって悪に打ち勝つことができるのだ。
2. 人の子の血を飲む行いが伴ってこそ
神のことばをよく糧とするなら、聖霊に感じて悟るだけでなく、火のような祈りで神の恵みを受けて強くされなければならない。それと共にみことばを信じて守り行う努力が必要である。このような行いがまさに人の子の血を飲むということである。したがって「人の子の血を飲むということ」は神のことばを信じて行うことを意味する。
神のことばは大きく四つに区分できる。「守りなさい」「捨てなさい」「しなさい」「してはならない」とあるので、そのとおりに守り行ってこそ神のみわざが体験できる。
このような行いがなければ神のみわざを体験できず、知識的な信仰から抜け出すことができない。<ヤコブ2:22>に「あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、」とあるとおり、信仰によって行いを現わしてこそ知識的な信仰が霊の信仰へと完全に変えられる。
初めはからし種ほどの信仰でも、行いとして現わすとき、神の恵みと力を体験することで日増しに信仰が成長して、大きい信仰を所有することができるのだ。すべてのことにおいて神のことばをそのまま信じて行ってこそ、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するようになる(エペソ4:13)。
反対に、聖霊を受けてからし種ほどの信仰があるとしても、行わなければ、いくら長い時間信仰生活をしているとしても霊的な体験ができず、心が変えられることも難しい。まかり間違えば小さい信仰さえ奪われて、救いと遠くなることがあるということを悟り、人の子の血を飲む行いによって信仰を完全にするようお願いする。
3. 救いと永遠のいのち、答えと祝福が臨むには行いのある信仰があってこそ
聖書に記されている神の答えと祝福のみことばをまことに信じるなら、必ず行いが伴うだろう。もし信じられるような人が、ソウルから歩いてプサンのある浜辺に行けば、数億ウォン分の宝物をあげようと約束したとしよう。本当に宝物を手にしたいなら、歩いてでもプサンの浜辺に行くだろう。
<ヤコブ2:26>に「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。」とある。ところが、多くの人が口では「全知全能の神様を信じます」と告白するが、心には完全に信じられないので、行いのある信仰を現わせない。誰でも聖書に記されている神のことばどおり行う霊の信仰を所有してこそ救われて、答えと祝福もいただくことができる。
ある人は<ローマ10:13>に「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」とあるので、口で主の御名を呼び求めれば、いくら罪の中で生きている人でも救われることができると言って、自分の罪を正当化させようとする。しかし、このみことばは、死ぬしかない罪人を主イエス・キリストの御名によって救われた、神の限りない愛を表わしているのであって、不法を行う人を正当化させる聖句ではない。
神のことばには連れ合いがあるので、前後の文脈を調べて、聖霊に感じて解き明かしてこそ正しく理解できる。<ローマ10:9〜10>に「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあるとおり、心に信じて義と認められる人が口で告白するとき、救われるのである。
それでは、心に信じて義と認められるということは何だろうか。<ローマ2:13>に「それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行う者が正しいと認められるからです。」とある。神のことばを聞いてまことに心に信じる人は必ずそのまま行うので、義と認められるようになるのだ。
愛する聖徒の皆さん、
人の子の肉を食べてその血を飲んでこそ永遠のいのちを得ることができる。まめに人の子の肉と血を飲み食いする者になって、行いのある霊の信仰で神に喜ばれ、すべてのことにおいて栄えるように、主の御名によって祈る。
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