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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

世界の始まる前から備えておられた人間の救いの道

万民ニュース   第 173 号
2927
2017. 03. 26


堂会長イ・ジェロク牧師



「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」 (使徒の働き4:12)



伝道していると、イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはないということについて、疑わしく思ったり、あまりにも独善的ではないかと非難したりもする。それなら、イエス・キリストだけがなぜ私たちの救い主であるのだろうか?


1. 世界の始まる前から備えておられた人間の救いの道

人は不幸を体験してみなければ幸せを感じることができないし、悲しみと苦しみを体験してみてこそまことの幸せの価値を悟って、心から感謝できる。このような相対性を知るようになさろうと、神はエデンの園の中央に善悪の知識の木を生えさせて置かれた。そして、最初の人アダムに自由意志を与えて、園にあるすべての実は食べてよい、しかし善悪の知識の木の実だけは食べてはならないと命じられた。しかし、永い歳月が流れた後、アダムはみことばを心に留められず、聞き従わない罪を犯してしまった。

今日、多くの人が罪に染まる過程を見れば、アダムに悪が入って来た過程がもっと簡単に理解できる。たとえば、他の子をたたく子どもも、初めからそうだったのではない。もちろん原罪を持って生まれたので罪の性質自体はあるが、実際にたたく悪い習慣がつくまでには、それを受け入れる過程があったのだ。他の人がたたくのを見て一、二回まねをして、後には習慣的に人をたたくようになったのである。

このように人が狡猾な蛇の誘惑を受け入れて、自由意志をもって善悪の知識の木の実を食べた結果、「必ず死ぬ。」と神が言われたとおり霊が死んで、神との交わりが断たれて敵である悪魔・サタンの奴隷になってしまった。<ローマ6:16>に「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。」とあるとおりだ。そして、罪を犯したアダムは神が下さった万物の支配者(創世記1:28)として持っていたすべての権力と栄光までも、敵である悪魔に任せてしまうようになった(ルカ4:6)。

歳月が流れるほど人々の心は罪と悪に染まり、病気と貧困、災いで涙、悲しみ、苦しみにあって、永遠の死である地獄に引かれて行くようになったのだ。しかし、神のみこころは人が地獄へ行くことではなく、この地上で相対性を体験し、耕作をしっかり受けた後に永遠の天国に入れるところにある。

したがって、人間耕作を計画して天地万物を創造された神は、土地のちりで造られた最初の人アダムが善悪の知識の木の実を食べて罪を犯すことをすでに知っておられ、ご自身の栄光のために世界の始まる前からイエス・キリストを備えておられたが、時が来るまで隠しておかれた。


2. 土地の買い戻しの権利のあるイエス・キリスト

それでは、最初の人アダムが罪を犯して罪人となった人類はどのように救われるだろうか?

愛なる神はすべてのことを霊の世界の法と秩序に従って正確に行われる方なので、罪人の罪を赦して救うことも、正確な公義にあってなされる。「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)という公義の法則によって罪人となったすべての人類を救うためには、必ず誰かが罪を贖わなければならなかった。それで、神の御子であり、人となってこの地上に来られたイエス様が全人類の罪を贖うために木の十字架にかけられて死なれたのだ。

このことを信じない人々は「なぜイエス・キリストを信じてこそ救われるのですか?」と尋ねる。しかし、<使徒4:12>に「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」とあるとおり、イエス様以外には救い主になれないし、イエス様を救い主として受け入れないでは、どこの誰も救われることができない。

それでは、なぜイエス様だけが私たちの救い主になれるのだろうか? それは霊の世界の法則による。最初の人アダムが罪を犯した後、人類が死に向かうようになったのも「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則が適用されたし、罪を犯したことで敵である悪魔・サタンの奴隷となったのも「人が誰かに服従すれば、その服従する相手の奴隷となる」という霊の世界の法則が適用されたからだ。

それなら、罪人となった人類はどんな霊の世界の法則によって罪赦されて救われるだろうか? まさにレビ記から答えを見つけることができる。「地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから。・・・あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とある(レビ25:23〜25)。これはイスラエルの土地取引に関する土地の買い戻しの法であり、土地のちりで造られた人にも適用される霊の世界の法則である。

イスラエルではすべての土地は神のものであるから、思いのままに売ることができなかった。もし貧しくなって土地を売る時は、その親類が代わりに代価を払えば、必ずその土地を返すようにした。このように土地を買い戻す法の中に、罪人となった人類が救われる道が提示されているのは驚くべきことである。土地を売り買いする法は土地のちりで造られた人にも直接関係する法だからだ。

<創世記3:19>には「あなたは、顔を汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。・・・あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」とあるし、<創世記3:23>には「そこで神である【主】は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。」とある。

このように、土地のちりで造られた人が敵である悪魔の手に渡されたが再び神のところに戻って来ることができる法則と、売った土地を買い戻す法則とは直接的な関連があるのだ。イスラエルのすべての土地が神の所有であるように、最初の人アダムの権力もまた神のものであり、買い戻しの権利を放棄して売れないように規定しておかれたのである。

これは、神のものであった最初の人アダムが罪を犯して敵である悪魔に渡されるとき、神と敵である悪魔との間に交わされた契約なのだ。したがって、アダムが敵である悪魔の奴隷となってすべての権力を任せても、将来土地の買い戻しの法にかなう資格を備えた人が現れれば、敵である悪魔は返さなければならない。

最初の人アダムが善悪の知識の木の実を食べることをご存じだった神は、土地の買い戻しの法に従って救い主の資格を持つイエス・キリストを備えておくことで、救いの道を開いておかれた。次の号で続いてお伝えする。

愛する聖徒の皆さん、神は世界の始まる前からイエス・キリストを備えて隠しておかれた。時が来て、人となってこの地上に来られ、救い主の使命を全うされたイエス・キリストを心に信じて、口で告白して救われるよう、主の御名によって祈る。


 

 

 
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