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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

自制の実

万民ニュース   第 165 号
3437
2016. 07. 24


堂会長イ・ジェロク牧師





「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:22〜23)





自分の心を治めて制することができないと、すぐ怒ったり不平を言ったりして、困難を自ら招くことがよくある。ギャンブルや不倫、享楽や贅沢にふけっている人々も、もうやめようと思うのに、自制の力が弱いのでそこから抜け出せない。

自制の実は、主を受け入れて聖霊を受けた神の子どもに結ばれる御霊の実の一つであり、人生に成功するために老若男女、誰にとっても非常に重要な徳目である。


1. 自制の重要性

自制の辞書の意味は「自分の感情や欲望を抑えること。」である。すべてを適当に調節して安定するようにして、しっかり支えてくれる役割をすると言える。

自制の力が弱い人は自分をコントロールすることが難しいので、信仰生活をするのもやさしくない。みことばに恵みを受けてそのとおりに行おうと堅く決心するが、自制できなくて、いつも世の誘惑に負けてしまう。

口の言葉だけ調べてみてもわかる。多くの人が祈る時は「聖なる完全な口になるようにしてください」と祈るが、実際に暮らしの中では祈った内容を忘れて、以前のとおり言いたいことだけ言う。ある人は困難にあったり自分の思いに合わないことを見れば、その瞬間をこらえることができなくて、直ちに不平不満を吐き出す。話を始めればきりがない人もいる。言うべきことと言ってはならないことがあるのに、自制できないから言葉で失敗することが多い。

御霊の実の「自制の実」は、単に罪を犯さないで自制する力だけではない。他の御霊の実が完全になるように調節する役割もする。心に臨んだ徳目が表に現れるとき、すべてが秩序正しく調和をなすようにする、一つの仲裁機関のようである。

主にあって良いものでも、何が何でも求めるからといって、いつもよいのではない。「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉もあるように、霊的にも、どんなことでも御霊によってするものの、適切にしなければならない。

たとえば、喜びの実が結ばれたとしても、どんな時でも喜びを表現するのではない。葬儀場で他の人は悲しんでいるのに明るく笑うことはできない。そのように、救われた喜びがいくら心に満ちていても、状況と場所に合わせて自制しなければならない。

誠実に仕える時も自制が重要である。特にいくつかの使命を受けたなら、時間をよく配分して、いるべき所にいて、いくら恵みに満たされた集まりでも、終わるべき時間に終わらせなければならない。

愛、親切、善意、その他の実もみな同じである。いつも聖霊の声を聞いて働きかけられ、最も適切な線を守らなければならない。事の前後や退く時と出る時などをわきまえて調節することがまさに自制の実によってできるのである。


2. 自制の実が結ばれた証拠

第一、いつも秩序に従って行う。

秩序にあって自分の立場をしっかり把握して、自分が出るべき時と出てはならない時、言うべきことと言ってはならないことが何かを明確にわきまえる。だから誰とも議論したり争ったしりないで、誤解することがない。また、格に合わないことや分を超えることはしない。

ところが、自制できないなら、秩序を乱して越権行為をしていても悟れない。たとえば、グループの会長が社長にある事を指示したが、社長が熱情があふれていて、より良い意見があって自分の思ったように事を変えて進めたとしよう。すると社長がいくら熱い心で誠実に働いても、本意でないとしても結局秩序を乱したことになる。これは自制できないことによって十分起こりそうな状況である。

第二、時期と場所、対象などを考慮できる。

主を呼び求めて祈るのは良いことだが、どこででもそうするなら、かえって神の栄光をさえぎることもある。伝道する時や聖徒を訪問する時も、相手に応じて伝えるべきことを見分けて真理を伝えなければならない。自分が霊的なみことばを聞いて悟った内容がとても恵み深くて良いからといって、誰にでも伝えてはならない。相手の信仰の量りに合わないことを伝えれば、かえって相手は恵みに満たされなくなることもあり、さばいて罪に定めてつまずくこともある。

また、忙しい人をつかまえて自分が悟った内容や恵みを受けた体験を長々と話すなら、相手は失礼にならないように聞いてはいるけれど、心に入ってこない。したがって、いくら良い内容であっても、相手の立場や状況を考えて自制できなければならない。

第三、落ち着いて事の前後をわきまえて対応する

自制できない人はせっかちで軽率なので、事をしくじったり、他の人と気まずくなったりする。特に話を聞く時や答える時、気が短いので注意深く聞かないから失敗が多い。したがって、相手の話をさえぎらずに最後まで聞いてよく把握してこそ、誤解したりさばいて罪に定めることがなく、相手の意図まで見分けて対応できる。

自制の実が結ばれている人は相手の話を聞いて簡単に揺れ動くことはない。落ち着いて相手の話を聞いて、御霊によって真実を見分ける。このように自制して見分けて答えるなら、間違った判断による失敗がずいぶん減って、それだけ口の言葉に重みがあり、相手に権威をもって伝えることができるのだ。


3. 自制の実を結ぶには

まず、移り変わることのない心にならなければならない。

偽りがない心、真実の心に変えられればよい。「私はこうしよう」と思ったら、そのとおりにしなければならない。もちろん一日でできることではないが、小さいこと一つから心を守る訓練をしていくべきだろう。小さい約束も移り変わらないで最後まで守っていけば、大きい約束も守れるようになるから、神がご覧になって祝福してくださる。

次に、すべてのことに自分が先に立たず御霊に従う訓練をしなければならない。

今すぐ自分が見て緊急なこと、良いことより、まず聖霊の声を聞こうと努力し、御霊に働きかけられるとおりに従っていくのだ。いつも聖霊の声に耳を傾けて従う訓練をすれば、細かいことまで見分けられるようになる。

 このように訓練ができた時でこそ、真理のとおりに守り行おうと決心すれば、そうできる力が湧いてくる。祈りも一時間しようと思えば一時間できるし、二時間しようと思えば二時間できる。毎日聖句を一節暗唱して、聖書を一章以上読もうと決心すれば、そのとおりにできる。だから、いつも秩序に従って調和をとりながら行えるのだ。

愛する聖徒の皆さん、
誰でも心を砕いて罪を告白してイエス・キリストを受け入れれば、賜物として聖霊を受ける(使徒2:28)。御霊によって霊を生みながら御霊の九つの実を結べば、求めるものは何でも神が下さる生き方ができる。この世のどんな宝石とも比べられない尊く美しい御霊の実を豊かに結び、思う存分神に栄光を帰されるように、主の御名によって祝福して祈る。


 

 

 
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