光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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「十字架の道」シリーズ(11) - 飼葉おけに寝かされたイエス様
万民ニュース
第 48 号
7522
2007. 1. 21
「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。・・・男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカの福音書2:1-7)
神の御子として人となってこの地上に来られたイエス様は、神の御姿であられる方であり、天地万物の主人、王の王、主の主になられる方です(ピリピ2:6、黙示録19:16)。
このように言葉にできないほど栄光に満ちたお方でしたが、人類の罪を贖うために人となってこの地上に来られて、貧しい道を歩まれました。それでは、神の御子であられるイエス様が家畜小屋で生まれて、飼葉おけに寝かされ、貧しく生きられた理由は何でしょうか?
1. イエス様が家畜小屋で生まれて、飼葉おけに寝かされた理由
ルカの福音書2章には、おとめマリアが聖霊によってイエス様をみごもり、夫のヨセフと一緒にベツレヘムに住民登録をしに行って、子を産む場面があります。
ところが、人々はみな、登録のために自分の町に向かって行ったので、宿屋には彼らのいる場所がなく、結局、家畜小屋で産むことになりました。布にくるまれたイエス様も、寝かされるところがなく、家畜の餌を入れる飼葉おけに寝かされました。このように、イエス様が家畜小屋で生まれて、飼葉おけに寝かされたのは、神様の摂理があるからです。
<伝道者の書3:18>に「 私は心の中で人の子らについて言った。『神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。』」とあります。ある人は「なぜ人が獣にすぎないだろうか?」とおかしく思うかもしれませんが、人の悪を考えてみると、獣より劣る場合もよくあります。
万物の霊長と呼ばれる人が、自分の欲を満たすために戦争を起こして、数多くの人々を殺すかと思えば、物質の欲のため親子の間で、兄弟の間で戦って、訴えて、はなはだしくは殺したりまでします。
もともと神様は善で聖なる神様のかたちに人を造られました。ところが、アダムが罪を犯してから、罪人になった人々は霊が死んでしまい、神様の善なるかたちを失って、獣にすぎない存在になってしまいました。だんだん心が罪と悪に染まっていくと、世の情欲と自分の欲に従って、あらゆる罪を犯しながら生きるようになりました。
したがって、私たちが聖なる天国に入るためには、必ず人の本分を取り戻さなければなりません。イエス様がこの地上に来られて、飼葉おけに寝かされたのは、このように獣にすぎない人類を贖って救われるためでした。
<ヨハネの福音書6:51>でイエス様は、「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と言われました。ここで、天から下って来た生けるパンを食べるということは、神様のみことばを心に糧とすることを意味します。人のからだが糧を食べてこそ生きられるように、人の霊も霊の糧を食べてこそ生きられるからです。それで、神様のみことばであられるイエス様が人となってこの地上に来られて(ヨハネ1:14)、獣にすぎない人類にとっていのちの糧になってくださったのです。
このように人は、イエス様を通して人の本分を取り戻し、失った神様のかたちを回復することができます。まさに、このような事実を教えてくださるために、神様はイエス様を家畜の飼葉おけに寝かされたのです。それでは、私たちがどうすれば、獣のような人生から抜け出して、まことのいのちが得られるでしょうか?
<伝道者の書12:13>に、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」とあります。聖書で「しなさい」と言われたことはして、「してはならない」と言われたことはしないで、「守りなさい」と言われたことは守り、「捨てなさい」と言われたことは捨てることが、すなわち神様の命令を守ることであり、人の本分を取り戻す道です。
多くの人々が「神様の命令がどうして全部守れるのか、信仰生活がとてもつらい」と言います。しかし、神様は決して私たちを苦しめようとされるのではありません。親が子どもを愛して「勉強しなさい、きれいに洗いなさい」と人の道理を教えるように、神様もその子どもたちが人の本分を尽くして、祝福された人生を送るように教えてくださるのです。
特に「してはならない」と命じられることは、私たちが試みと苦しみにあわず、地獄に行かないように導くためであり、「しなさい」と命じられることは、誰でも答えられて祝福されて救われ、永遠の天国に導かれるための神様の愛です。
2. イエス様が貧しい道を歩まれた理由
<マタイの福音書8:20>に、「 すると、イエスは彼に言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。』」とあるように、イエス様は福音を宣べ伝えて、多くの病人をいやされましたが、一定の住まいもありませんでした。このように公生涯の間、数多くの奇跡を現されたのに、あえて貧しい人生を歩まれた理由は何でしょうか?
<第二コリント8:9>に「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」とあるように、私たちに富の祝福を下さるためでした。
アダムがエデンの園で生きていた時は、すべてのものが豊かで苦しむ必要がなかったのですが、罪を犯してからは、すべてのものも呪われて、土地はいばらとあざみを生えさせたので、汗を流して耕してようやく糧を得るようになりました。このようにすべての人が貧しくなるのは、最初の人アダムの罪による呪いなので、イエス様がその貧しさを贖ってくださるために、ご自身が貧しい道を歩まれたのです。
ある人は「神様に物質の祝福を求めるのは間違っている」と言いますが、聖書には、神様が私たちを富む者にさせるという、数多くの祝福のみことばがあります。また、信仰の父アブラハムを始め、イサク、ヤコブ、ヨセフ、ダニエルなど、神様を恐れてそのみことばに聞き従った人々は豊かで富む人生を送ったことがわかります。
私たちも、貧しさを贖ってくださった主の恵みの中で、富の祝福を受けなければなりません。もちろん欲で求めるのではなく、施しと宣教、聖殿建築などの善良なことに使い、神様の栄光のために求めなければなりません。愛の神様は子どもたちが信仰で求めることは何でも与えようとされますが(マタイ7:11)、無条件に「父よ、祝福してください」と祈るからといって、受けられるのではありません。
たとえば、<第三ヨハネ1:2>に、「 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあるように、すべての点でも幸いを得、また健康であるためには、たましいに幸いを得ていなければなりません。ここで「たましいに幸いを得ている」とは、神様のみことばどおり行うことによって、失った神様のかたちを取り戻すことを意味します。<申命記28:2>にも、「 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」とあります。
このように神様のみことばを守り行う人であっても、祝福されるためには信仰で種を蒔かなければなりません。<第二コリント9:6>に、「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」とあるように、信仰が大きい人であっても、豊かに蒔いた時でこそ豊かに刈り取り、少ししか蒔かなかったなら、少ししか刈り取りません。
神様が下さる祝福は、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、つまり、倍以上を下さって、たましいに幸いを得ているほど三十倍、六十倍、あるいは百倍にして返してくださいます。ところで、同じように蒔いても、ただちに刈り取らせる時より、高麗人参のように長く待たせて刈り取らせる時は、最もふさわしい時にさらに大きい祝福として返されるのです。
豊かに蒔く者が豊かに刈り取るということは、ただその金額や量を意味するのではありません。各人がどんな心で愛と信仰をもって蒔いたか、その心の香りを神様は受けられるのです。イエス様は献金箱に多くの人々が献金するのをご覧になって、やっとレプタ銅貨を二つをささげた貧しいやもめに、どの人よりもたくさんささげた、とほめられました。やもめは乏しい中から、あるだけを全部ささげたからです。
このように、神様が受けられるのが心の香りだということを覚えるなら、誰も「私は貧しくて蒔く物がない」と言えないでしょう。もちろん物質で蒔いたからといって、物質だけで返してくださるのではありません。たましいに幸いを得ている祝福がまことの祝福です。異邦人であっても、神様を恐れかしこみ、多くの施しをしたコルネリオは、 家族みなが救われる恵みを頂きました。また熱心に良いわざと施しをしていたドルカスは、死んだのに祈りを受けてまた生き返る祝福を受けました。
愛する聖徒の皆さん、
今日、万物の霊長と言いながら、獣にすぎない人生を送っている人々がどんなに多いことでしょうか?神様はその人々を救いと祝福の道に導かれるために、イエス様をこの地上に送られました。しかも家畜の飼葉おけに寝かされて、ご自身が貧しくなられるようになさいました。
このような神様の摂理とイエス様の愛を悟り、人の本分を行うことによって、霊肉ともに祝福され、神様に栄光を返されますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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