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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

「あなたの父と母を敬え」

万民ニュース   第 148 号
4592
2015. 02. 22


「あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」 (出エジプト20:12)



堂会長イ・ジェロク牧師






神の御子として人となってこの地上に来られたイエス様は、たいせつな第一の戒めは神を愛することで、第二は隣人を愛することだと言われました(マタイ22:37-40)。この二つだけ実践できるなら、他の戒めも十分に守れるからです。
出エジプト記に記されている十の戒めも、大きく二つに分けられます。第一戒から第四戒までは「神を愛せよ」に当たり、第五戒から第十戒までは「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」に当たります。
それでは「あなたの父と母を敬え」という第五戒について具体的に調べることにしましょう。


1.父と母を敬うのですが、主にあって敬わなければなりません

十戒に記されていないとしても、正しい良心がある人ならば、両親を敬うことが人の道理だと思います。では神が「あなたの父と母を敬え」という戒めを下さった理由は何でしょうか?
肉的な意味で敬えという意味ではなく、主にあって、すなわち、みことばにあって敬えということです(エペソ6:1)。両親を喜ばせるために、主日に教会に行くなという両親の言うことに従ったなら、これは親孝行ではなく、両親と一緒に滅びに向かうことです。本当に両親を愛して敬ったら、伝道して救われるようにすることが優先であり、これがまことの親孝行と言えます。
<第二歴代15:16>に「アサ王の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼は王母の位から彼女を退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、粉々に砕いて、キデロン川で焼いた。」とあります。王母が偶像を拝むということは正面から神に立ち向かい、自分だけでなく民まで偶像礼拝をするように惑わして滅びに導く可能性があります。
それでアサ王は、母だからといって何でも従って合わせたのでなく、王母の位から退けてしまうことで過ちから立ち返るようにし、民にも警戒心を持つようにしたのです。まさにこれがまことの親孝行です。
アサ王のように、両親のたましいが救われて天国に入れるようにする時でこそ、本当に父と母を敬って仕えることができるのです。


2.いのちそのものを下さった神を敬わなければなりません

「あなたの父と母を敬え」というみことばは結局、神の戒めを守って神を敬えというみことばとつながっています。心から神を敬う人は当然父と母を敬うのであって、父と母に心から仕える人は神にも心を尽くして仕えるのです。ただしその優先順位を言うなら、神に仕えるのが先だということです。
私たちはもちろん、お父さんとおじいさん、そしてその上の世代まで、すべての先祖を造られた方はまさに神であります。全人類の先祖であるアダムを造られ、すべての人にいのちを下さった方も神であります。人が胎に宿る時は両親の精子と卵子の受精によりますが、その根本であるいのちの種は神が下さらなければなりません。
しかも肉のからだはこの地上で生きていく間、しばらくとどまる幕屋にすぎません。からだの中に宿っている霊が人の主人です。人がいくら努力しても、いのちの種そのものを作ることはできません。また、いくら知識が増えるとしても、人の霊とたましいをコピーすることはできません。細胞をコピーして人のかたちを作るとしても、神がそこに霊とたましいを下さらないなら、そのかたちを人とは言えないのです。霊はただ神が下さって、御霊によって新しく生まれるようにされるので、私たちの霊とたましいのまことの親は神なのです。
ですから、私たちは肉の親に対しても道理を尽くして仕えなければなりませんが、いのちそのものを下さった神をさらに愛して仕えなければなりません。このようなことを知ったら、親は子どもに対しても、神がゆだねられた賜物であり、尊い魂であることを悟り、ただ神のみこころにあって養育しようと努めるようになります(詩篇127:3)。


3.神を愛するとき父と母を心から尊敬できます

敬うとは、目上の人の心を敬い従って、礼を尽くして仕えの道理を実践することです。ところが、神を愛すると言いながら、ひょっとして両親をないがしろにしたのではありませんか?時には礼儀に反することをしたり、年老いてその場に合わない話をするからといって、じれったく思って無視するような言葉つきと行動をしてはないでしょうか?私たちが神を愛することと父と母を敬うことは別物ではありません。
<第一ヨハネ4:20>に「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」とあります。
<マタイ15:4-9>には、パリサイ人と律法学者たちが父と母に当然差し上げるべきものを神にささげるからといって横取りしたことについて、イエス様が責められる場面があります。彼らが神に仕えようとする心ではなく、自分たちが取ろうとする心だったからです。
本当に神を心から愛して敬う人は両親も心から愛して敬うしかありません。神の霊の愛を悟っていくほど、両親の愛も完全に悟れるのです。
真理の中に入ってきて、罪と悪を脱ぎ捨てて完全にみことばの中で生きていく時に、その心にまことの愛が臨みます。その時、生んでくれた両親に対しても真心から愛と恵みを悟り、心の奥から湧き上がる愛をもって仕えることができるのです。


4.真理にあって神と両親を敬うとき臨む祝福

神は「あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」(出エジプト20:12)と仰せられ、心から神を愛して両親を敬う人について祝福のみことばを下さいました。
このみことばは単にこの地で長生きするという意味ではありません。真理にあって神と両親を敬うなら、それほどたましいに幸いを得ているという意味で、このようにたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であり、神に守られるようになるという意味です。不慮の事故や災いにもあわないし、家庭や職場、事業の場もいつも栄えること、これらすべての祝福を含めて「齢が長くなる」と言われたのです。
ルツ記を読むと、ルツは異邦の女性でありながらユダの民と結婚しました。しかし、若くして子どももなく夫と死別しました。姑のナオミはルツに新しい幸せを探すように勧めましたが、ルツは嫁として最後まで仕えるために、自分の幸せをあきらめてナオミの後についてユダの地に入ります。
神はルツが異邦の女性なのにもかかわらず大きい祝福を受けるようにされます。夫の親戚の中から裕福な人を新しい夫に迎えるようにして、その子孫を通してダビデ王が出て来て、イエス様の系図にその名が載せられる光栄を味わうようにされました。神が約束されたみことばどおり、ルツは主にあって心から親を敬ったので、霊肉ともにあふれる祝福をいただいたのです。

愛する聖徒の皆さん、
神を愛する心が真実ならば、主にあって信仰の兄弟にだけよくするのではありません。自分を生んで育ててくれた両親はもちろん、夫婦の間でも、あるいは家族と親戚、隣人に対する時も、必ず人々が皆さんの良い行いを見て、天におられる皆さんの父をあがめるようなります。
ルツのように良い行いで人の前に真理の光を輝かせ、多くの人の前に恵みと徳を及ぼし、神も皆さんに栄光と祝福をもって報いてくださいますよう、主の御名によって祝福して祈ります。


 

 

 
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