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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

金より尊い知恵

万民ニュース   第 135 号
4268
2014. 01. 26


「それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。」(箴言3:14-15)


堂会長イ・ジェロク牧師




人はそれぞれ尊く思うものがあります。ある人は名誉を、ある人は権威を、ある人は知識を大切に思います。また、財産を一番大切に思う人もいます。神は知恵を尊く思われて、その収穫は黄金にまさると言われます。この世のどんなものも、まことのいのちと平安をもたらすことができませんが、知恵はどれだけ活用するかによって、いのちを得るようにし、価値が測り知れないほど大きくなりうるからです。
知恵は大きく二つに分けられます。人々の経験と学問を通して得られる一般的な知恵と、神が上から下さる天の知恵です。人がいくら賢いとしても、神が下さる知恵に肩を並べることはできません。それで、第一コリント1章25節に「なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」とあるのです。


1. 神が下さった知恵の尊さ

知恵とは、積んだ知識が活用される方法論のようなものです。悟りがあり、行く道が明らかに見えても、知恵がないならば、悟りの価値が発揮されません。悟りは学びを通しても得られますが、知恵は心の器を備えてこそ持てるからです。
神が下さった知恵のある人は、相手の心を動かすことができるので、周りの人の自発的な協力を引き出して、水が流れるように事を進めます。反対に、知恵のない人は、良いわざをする時さえ人々の反発をかって、困った目にあうのが見られます。
このように知恵のある人はひと言でも愛されて祝福される一方、愚かな人はひと言でやって来た機会さえ失って、苦しみにあいます。知恵が欠けていれば、努力して苦労したことに比べて実が少ないのです。しかし、知恵のある人は神に喜ばれる方法を体得して、多くの実を結べます。祈る時も神のお心にぴったりかなうようにして、恵みを受ける機会をよく捕らえて逃さず、恵みの機会を作り出したりもします。神の知恵があれば、答えられることも、実を見せて祝福されることも、よりすばらしい天国に入ることも、近道を行くこともできます。


2. 神の知恵で祝福されたソロモン

「知恵」と言えば欠かせない人がソロモンです。ダビデの後に続いてイスラエルの王位に上がった彼は、最善を尽くして神に一千頭の全焼のいけにえをささげました。「全焼のいけにえ」とは、いけにえとして連れてきた動物を焼いて、その香を神にささげるいけにえです。旧約時代の最も普遍的ないけにえの方法であり、今日で言えばイースター、収穫感謝祭などの例祭礼拝を含め、私たちがささげるすべての主日礼拝がこれに当たります。
ソロモンがどれほど最善を尽くして全焼のいけにえをささげたのか、神が彼の夢に現れて「あなたに何を与えようか。願え。」(第二歴代1:7)と仰せられました。その時、ソロモンは自分の富と栄華を求めないで、民をよく治められる知恵と知識を求めました。すると神が非常に喜ばれて、彼が求めなかった富と栄華まで、あふれるように下さいました(第二歴代誌1:11-12).
神にいただいたソロモンの知恵がどれほど大したものだったのか、南のシェバの女王が噂を聞いて、多くのささげ物を載せて知恵を聞きに来たりしたのです。彼女はソロモンに「あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。」と感心しました。
第一列王記3章に記されているソロモンの賢い判決は有名です。ある日、ソロモン王の前にふたりの女が赤ちゃんを抱いてきて、その赤ちゃんが自分の子どもだと互いに主張します。話は次のようです。
ふたりの女は同じ家に住んでいて、ほぼ同じ時期に赤ちゃんを産みました。ところが、ひとりの女が自分のミスで赤ちゃんが死んで、夜、こっそりもうひとりの女の赤ちゃんと取り替えておきました。朝になって、自分のそばにもうひとりの女の赤ちゃんが死んでいるのを見た女は、非常にうろたえました。ふたりの女は言い争って、ソロモンにさばきを求めに来ます。これにソロモンは臣下に、剣を持ってきて赤ちゃんを二つに断ち切り、ふたりの女に半分ずつ与えなさいと言います。
すると本当の母親は哀れに思って胸が熱くなり、お願いだから赤ちゃんを殺さずに相手の女にあげてくださいと哀願したのです。一方、もうひとりの女は赤ちゃんを半分に断ち切りなさいという王のさばきに満足そうです。その姿を見たソロモンは、哀願している女が本当の母親だと言って、彼女に子どもを返してやりました。自分の命より子どもを愛する母親の心がわかったのです。
このように知恵があれば不当な事を解決してあげて、賢明な判断で周りの人たちに頭を下げさせることができるのです。


3. 知恵ある女アビガイル

第一サムエル25章に記されているアビガイルは、死ぬこともある状況で賢く対応して、祝福された女です。ダビデがサウル王を避けて、逃げ回っていた時のことです。ダビデは一行の渇きと飢えを解消するために、近辺の富豪ナバルに助けを求めました。ダビデが以前、ナバルの家畜を守ってあげたことがあったのです。それでもナバルは、自分を低くして助けを求めるダビデをさげすんで、卑屈な人に仕立ててしまいました。これに対して、ダビデは武装した四百人を連れて、ナバルを打つために彼の家へ向かいます。
この知らせを伝え聞いたナバルの妻アビガイルはどうしたでしょうか? あわてふためいている時でも、急いでパンとぶどう酒といろいろな食べ物を用意し、ろばに載せてダビデに会いに行きます。サウル王に追い回されていたダビデ一行にとって、最も必要なのは食べ物だったからです。
ここで私たちはアビガイルの知恵を学ぶことができます。ダビデに出会ったアビガイルは彼の足もとにひれ伏して、この上なくへりくだった姿勢でダビデを高くします。彼女は、夫が死ぬべき罪を犯したけれど、自分を見て赦してくださいと、真実に懇願します。その次に、知恵ある言葉でダビデの良い点をほめて、心をなだめます。そして、ダビデが人を殺して血を流せば神が喜ばれないことを、それとなく悟らせることまでします。
真心のこもった言葉で赦しを乞うアビガイルの姿に、ダビデは「きょう、あなたを私に会わせるために送ってくださったイスラエルの神、【主】がほめたたえられますように。あなたの判断が、ほめたたえられるように。また、きょう、私が血を流す罪を犯し、私自身の手で復讐しようとしたのをやめさせたあなたに、誉れがあるように。」(第一サムエル25:32-33)と言って心がやわらぎます。
その後、アビガイルが家へ帰ってみると、ナバルは王のように宴会を開いていて、ひどく酔って上機嫌でした。彼女は朝になるまで夫にどんな話もしませんでした。酒に酔った人に良くないことを言って、どんな目にあうかわからなかったからです。
賢いアビガイルは翌日、夫の酔いがさめた後に「昨日こういうことがありました」と伝えました。まかり間違えば自分が死ぬこともあったと知って驚いたナバルは、気を失って石のように固まって、十日後に死んでしまいました。
このようにアビガイルは知恵ある言動で、自分と家族全員が殺される危機を免れました。私たちに知恵があるかないかによって、事が簡単に解決されることもあり、ささいなことが大きい問題に発展することもあるということを悟り、金より尊い神の知恵を慕うべきでしょう。

愛する聖徒の皆さん、
上からの神の知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順で、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきと見せかけがありません(ヤコブ3:17-18)。天の知恵をいただいて、神の子どもとされた祝福を思いきり味わいますよう、主の御名によって祈ります。


 

 

 
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