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霊の愛の重要性
万民ニュース
第 120 号
5505
2012. 10. 28
「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」(第一コリント13:1-3)
「愛の章」と呼ばれるコリント人への手紙第一13章を読めば、霊の愛について説明するに先立ち、愛の重要性について強調しています。いくら衣食住の問題が解決されて、すべてのものが豊かでも、愛がなければ、人生の希望も生きていく意欲もなくなります。このように、愛は私たちの人生において最も重要な要素と言っても言い過ぎではありません。
それで[第一コリント13:13]に「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」とあるのです。私たちが御使いのように美しく話をして、預言の賜物と山を動かすほどの信仰があって、持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、からだを焼かれるために渡して犠牲になるとしても、そのすべての行いが完全になるには、まことの愛がなければならないからです。
1. 人の異言や御使いの異言で話しても
ここで「人の異言」とは、御霊の賜物の一つである「異言の賜物」のことを言うのではありません。英語、中国語、ロシア語など、地球上で使われているすべての言語を意味します。人間の文明や知識が言語により体系化されて伝えられるだけに、言語の力はまことに大きいです。自分の感情や考えを表現して、人を説得したり感動を与えたりします。このように言葉には人を動かす力があって、多くのことを成就できる力があります。しかも御使いのように美しい声できれいな言葉を使えば、どんなにうっとりするでしょうか。
ところが、人が流暢に話して、御使いのように美しく話をするとしても、霊の愛がなければ、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。どらがやかましいということは、中がからっぽか軽いという証拠です。人も、霊の愛がなければ殻と同じです。私たちの心に愛がぎっしりあって、神様に似せられたまことの子どもになる時でこそ、人間を耕作しておられる神様の前に麦としての価値があります。ひと言口にしても、「どんな言葉で相手の力になろうか」「どうすれば真理に変えられるようにできるだろうか」と考えながら、いのちを与えなければなりません。
ヨハネの福音書8章を読めば、律法学者とパリサイ人たちが、姦淫して現場で捕えられた女を連れて来て、イエス様に「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と尋ねます。もし律法のとおり石打ちにしなさいと言えば、イエス様を愛がないと言うだろうし、赦しなさいと言えば、律法を無視すると罪に定めることが明らかでした。この時、イエス様は地面に彼らに当たる罪状を一つ一つ書いていかれます。彼らは自分の罪状を見て、良心の呵責を感じてその場を離れ、女だけが残りました。イエス様は女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われました。
このように霊の愛が込められた言葉はいのちを与える驚くべき力がありますが、何が何でも相手を説得しようとしたり、指摘して直そうとしたら、仮にその言葉が百回正しくても、相手を変えさせたり、まことのいのちを与えたりしません。したがって、何か言葉を口にするとき、自分の義と枠の中でしていないのか、その言葉が愛から始まったものか顧みなければなりません。
2. たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても
一般に、未来の物事を予測して言うことを「予言」と書きます。聖書では「預言」と書きますが、これはある目的を持って、聖霊に動かされて神の心を伝えられ、今後の事を言ったり予測したりすることです。ただし、この預言は人間の思いのとおりにできるのではなく、聖霊に動かされた人が神からのことばを語るのです(第二ペテロ1:21)。このような預言の賜物は誰にでも与えられるのではありません。まかり間違えば高ぶりになることもあるので、聖められなければ神様は下さいません。
ところで、愛の章で言う「預言の賜物」とは、特定の人にだけ与えられる賜物のことを言うのではありません。将来、主が天から下って来られれば、救われた人は携挙されて七年婚宴に入ります。救われない人は七年患難を体験して、白い御座の大審判の後、地獄に行きます。このようなことを知って宣べ伝えることを言うのです。
また「奥義」とは、世界の始まる前から隠された奥義、すなわち、十字架のことばのことです。「十字架のことば」は人類を救うための摂理で、神様が世界の始まる前から備えられたものです。神様は人間が罪を犯して死へと向かうことをご存じで、世界の始まる前から救い主になられるイエス様を備えておられました。この救いの摂理を成就するまで、神様は奥義として隠しておかれました。救いの摂理が知られれば、敵である悪魔が妨げて、成就されないからです。
敵である悪魔・サタンは、イエス様を殺せば、アダムが罪を犯したことによって自分たちに任された権力を永遠に持てると思って、悪い人々を操ってイエス様を十字架につけてしまいました。しかし、罪のないイエス様を殺すことによって、かえって救いの道が開かれるようになりました。このような驚くべき奥義を知っても、霊の愛がなくて伝えないなら、何の役にも立ちません。
知識も同じです。「あらゆる知識」とは、単に学問的なことだけでなく、聖書に込められている真理の知識を意味します。神様を知ったならば、見つけて体験して、心に信じなければなりません。そうでなければ、知っていることで終わるだけで、その知識が人をさばいて罪に定める物差しになったりもします。ですから、霊の愛がない知識もやはり役に立ちません。
また「山を動かすほどの完全な信仰」があっても、愛がなければ何の値うちもありません。ペテロはイエス様が水の上を歩かれたとき、おことばに従ってしばらく歩きました。しかし、当時、ペテロは聖霊を受けたのでも、心の割礼をしたのでもないので、霊の愛が臨んでいたのではありませんでした。したがって、自分の命が脅かされる時が来ると、イエス様を知らないと言いました。
このように体験によって信仰は成長できますが、霊の愛は罪を捨てようとする努力と献身、犠牲が伴う時に臨みます。かといって信仰と愛が関係ないのではありません。信仰があるので、罪を捨てて神様を愛そうとするのです。
3. 私たちに向けられた神様と主の変わらない愛
自分を誇りたくて、偽善的に持っている物を貧しい人たちに分け与える人は、ほめられるほど心が高くなるはずです。自分のことを正しいと錯覚して、心の割礼をしないから、結局、自分にとって害になるだけなのです。しかし、愛から湧き上がる善行は、誰がわかってくれようがくれまいが、かかわりありません。隠れた所で見ておられる神様が、行ったとおり祝福して報いてくださることを信じるからです(マタイ6:3-4)。
犠牲も同じです。「私のからだを焼かれるために渡す」とは、完全に犠牲になることを意味します。犠牲は愛を前提としますが、愛がなくてもいくらでも犠牲になれます。つまり、思いきり苦労しておいて、つぶやくのです。自分の力とまこと、時間、物質を尽くして働いたのに、誰もわかってくれないとむなしくなります。熱心でない人を見れば「神様を愛してると言いながら、どうしてああできるのだろう」とさばくのです。こういう心ならば自分もつらいし、周りの人と平和を破るので、何の役にも立ちません。
それなら、信仰があるのにどうやって愛のない犠牲ができるでしょうか? これは、心から神様のことが自分のことで、自分のことが神様のことという「主人意識」がないからです。心の中に霊の愛がぎっしり満ちていれば、誰が見ていようが見ていまいが、わかってくれようがくれまいが、黙々と主を仰いで献身できます。
愛する聖徒の皆さん、
まるでローソクが自分のからだを燃やして闇を照らすように、皆さんも惜しみなく自分を渡すことによって霊の愛を完全に心に耕しますように、主の御名によって祝福して祈ります。
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