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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

あなたの行かれる所へ

万民ニュース   第 115 号
5174
2012. 05. 27


「ルツは言った。『あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。…もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。』」(ルツ記1:16-17)


最近は利己主義と金銭万能主義が広まり、人が当然守るべき基本倫理さえ失われています。年とった両親に旅行をさせてあげると言って一緒に出かけて、知らないところに放置して行くかと思えば、子どもたちを虐待して餓死するようにしたりします。このように、日が進むにつれて愛が冷たくなり、人の道まで外れていくのが現実です。
聖書には、若くして夫と死別してひとりになった姑に真心を尽くして仕えて、神に愛された女性が出てきます。ルツのことです。はたして彼女はどんな善と行いで神の栄光を現して、後代までほめられる女性になったのでしょうか?


1. ひとりになった姑に最後まで仕えたルツ

イスラエルのベツレヘムに住んでいたエリメレクとナオミ夫婦は、飢饉になるとふたりの息子を連れて、異国の地モアブに移住しました。ところが、あまり経たないうちに、一家の長エリメレクが死んでしまいます。そこに住み始めてから十年頃になった時は、ふたりの息子まで死ぬ悲劇にあいました。子孫をひとりも残さないで、家のすべての男が死んで、残った人はナオミと嫁のオルパとルツだけでした。
夫とふたりの息子に先立たれてしまって、かろうじて生きていたある日、ナオミは【主】がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いて、ベツレヘムに帰ろうと決心します。そこでオルパとルツに言いました。「私は祖国へ帰らなければならない。あなたがたはまだ若くて、いくらでも新しい人生を送れるので、それぞれ自分の実家へ帰りなさい」ということでした。
繰り返して勧めると、オルパは泣いて離れましたが、ルツは姑にきっぱりと言いました。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」(ルツ1:16-17)と告白したのです。
ルツには、どこに頼るところもない老いた姑をひとりきりにして離れることは、とうていできませんでした。いくらつらくて苦労しそうでも、嫁としての道を尽くそうと思ったのです。心が良かったので、自分の苦労は考えないで、姑のほうが心配になりました。
もしルツに自分の利益を求める心があったなら、オルパのように、人情として一、二度断った後、仕方ないふりをして離れたでしょう。ですがルツは姑を愛する心が真実だったので、そういう気になりませんでした。
ルツからすれば、ベツレヘムは慣れない異国の地です。しかも家があるのでもなく、食べる糧があるのでもありません。現実を見れば先が見えないだけです。それでもルツは自分の利益を求めたのではなく、人として踏み行なうべき正しい道に従って、姑に仕える道を選びました。そして、決してその選択を後悔しなかったのです。


2. ルツのように心の良い人を捜される神

このように、心の良い人は自分が置かれた現実を見るのではありません。自分の利益を求めないことはもちろん、いくら損をして命が危険であっても、正しい道に従って善を行います。何度か善を行ってやめるのではなく、相手の利益のために自分を犠牲にして、正しい道に従って変わらず善を行います。
神は今も、ルツのように正しい道に従って、変わらず善を行う人を探しておられます。ところが、善を行う人も珍しいのに、自分にとって害になるとしても最後まで善を行う人はというと、いないくらいです。むしろ助けてあげたのに、恵みを捨てて裏切る人も多いのです。
イスカリオテ・ユダは師であるイエス様を裏切って、自分の利益を追って悪を行ったので、滅びに至ってしまいました。いのちの知識を教えてくださって、天国に導かれるイエス様を、銀貨三十枚で長老と祭司長たちに売り渡しました。
使徒パウロとともに福音を伝えた人の中にも、困難がやって来ると、彼を捨てて世へと向かった人々がいました。神が使徒パウロとともにおられる数多くの不思議としるしを見たのに、良い心ではなかったので、迫害と苦難が怖くて、自分の利益を求めて離れたのです。
私たちの周りにもこういう人々が見られます。初め神を見つけた時は、うれしくて恵みに満たされて「いのちを尽くして忠実に仕えます」と告白しては、時間が過ぎればその恵みを捨てるのです。また、ある人はとても差し迫った状況で誓願をしておいて、実際に答えられた後は心が変わってしまい、これが守れないこともあります。これは自分の利益を追う姿であり、神が望まれる善とはかけ離れた心です。
したがって、どんな状況でも、最後まで変わらない心で神のことばをどれほど守り行えるかということはとても重要です。「神様、愛しています」と告白する次元を超えて、ダニエルの三人の友だちのように、火の燃える炉に投げ込まれて命を失うとしても、神に対する信頼を最後まで守る心になってこそ完全だと言えます。


3. 踏み行うべき正しい道を守って善を行う時の祝福

神は善をとても喜ばれるので、少しでも善を行えば、祝福を注いでくださいます。私たちの教会に、ルツのように舅姑によく仕えて、周りの手本になった女性聖徒がいます。この方は夫が家庭を捨てて家を出て行き、ひと部屋で舅姑と一緒にやっとの生活をしていました。しかも舅は交通事故にあい、いちいち面倒を見なければならなかったのです。
それでも夫を恨んだり、環境のせいにしたりしませんでした。「どうして私はこうなのか」と自分のことを嘆いたり、へたり込んだりもしなかったのです。たとえ今は暮らし向きが厳しいとしても、神が確かにより良い環境に変えてくださると信じました。そして、嫁として踏み行うべき正しい道に従い、舅姑に最善を尽くして仕えました。
神はこの聖徒の変わりない行いをご覧になって、帰ってくる見込みが全くなかった夫の心を立ち返らせて、家へ帰ってくるようにしてくださいました。それだけでなく、ひと部屋の家からもっと良い家に引越して、幸せな家庭になるように祝福してくださいました。このように、自分の踏み行なうべき正しい道に従って相手の利益を求めれば、愛されるものです。「誰が見てもあの人は信頼できる」と認めてくれるのです。
誰でもルツのように自分の持ち場で正しい道を踏み行って、変わらずに善を行うとき、信頼されて神に喜ばれることができます。家庭と学校、職場と事業の場から試練と患難が離れ、神が守ってくださるので、敵である悪魔・サタンが働くことができません。ですから問題が解決されて、祝福が臨むのです。
ルツは選民イスラエルの民ではなかったにもかかわらず、正しい道に従って自分のすべきことを変わらず行った結果、夫の親戚で裕福な人ボアズを新しい夫として迎えることができたのです。そして、彼の子孫からダビデ王が出て、イエス様の系図に載るという驚くべき祝福を受けました。

愛する聖徒の皆さん、
ルツは異邦の女性でしたが、嫁としての本分を尽くして、ひとり身になった姑に最後まで仕えた結果、神の子どもとされた祝福はもちろん、天国で大きい者になりました。このように神が喜ばれる善を変わらず行って、驚くべき祝福の主人公になりますよう、主の御名によって祝福して祈ります。


 

 

 
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