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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

目の見えない者の目は開き

万民ニュース   第 105 号
5956
2011. 07. 24


「盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」 (ヨハネ9:32-33)


生まれた時から目の見えなかった人が見えるようになったという記述は、新約聖書のイエス様の働きを記した福音書以外にはありません。これは、イザヤの預言のとおり、イエス様がメシヤであることを示しているのです。ユダヤ人が十字架につけたイエス様が旧約に預言されたメシヤであるという証拠が、まさに大いなる神の力と不思議としるしです。神の力あるわざは生ける神がともにおられるというしるしであり、人々に信仰を植えつける確かな方法です。


1. 生まれた時から目の見えなかった人の目をあけてくださったイエス様

ヨハネの福音書9章には、イエス様によって現れた驚くべき出来事が記されています。安息日に弟子たちと宮から出て行かれたイエス様は、道の途中で生まれつきの盲人を見られました。
弟子たちは、彼が盲目に生まれついたのは誰が罪を犯したからなのか知りたくて、イエス様に質問しました。イエス様は彼らに、誰かの罪のためではないと答えられました。ただ「神のわざがこの人に現れるためです。」と言われたのです。また、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られ、その泥を盲人の目に塗って、「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と命じられました。
はたして何が起きたでしょうか? 前は物ごいをしていたその人が、イエス様のおことばに従ったとたん、目が見えるようになり、世の光を見るようになりました。このように、聖書にはイエス様に出会っていやされた人々がたくさん出てきます。
ところが、この人の場合は一つ特異なことがあります。彼がイエス様のもとに訪ねてきて、目をあけてくださるように願ったのではありません。イエス様のほうから来て、いやしてくださいました。その理由は何でしょうか?


2. 目の見えない人がイエス様から驚くべき恵みをいただいた理由

第一、従順の人だったからです
イエス様が彼のところに来られて、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られ、その泥を目に塗って、シロアムの池で洗いなさい、と言われました。泥を目に塗った後、水で洗うからといって、見えなかった人が見えるようになるなら、これは常識に合いません。しかもイエス様が誰なのかもわからないでこう言われたなら、たぶんほとんどの人が信じられないでしょう。かえって自分をからかっていると思って、怒るかもしれません。
ですが、彼はそうではありませんでした。イエス様の指示に従ってシロアムの池に行って、目を洗いました。その結果、今まで見えなかった目が見えるようになったのです。ひょっとして神のことばが自分の常識と経験に合わないように思える方は、この人のようにへりくだった心で信じて、従ってみてください。神の恵みによって彼が見えるようになったように、驚くべきみわざが体験できます。

第二、真理を見分けられる霊的な目が開かれたからです。
その時、ユダヤの宗教指導者たちは、昔の人の言い伝えと律法の強い枠のゆえ、イエス様がどなたかわからないほど霊的に無知でした。しかし、生まれた時から見えなかった人は、自分の目をいやすことができる方なら、確かに神の人だと思ったのです。
彼がいやされた後にパリサイ人と交わした言葉を見ると、何が正しいか正しくないのか、正確に悟っていることがわかります。パリサイ人がどのようにして見えるようになったかを尋ねると、彼は「あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。」と大胆に言いました。それでもパリサイ人はこれが信じられなくて、けちをつけようと「あの人が目をあけてくれたことで、あの人を何だと思っているのか。」と聞きます。その時も、彼は屈せずに「あの方は預言者です。」と言います。パリサイ人は最後まで信じられず、もう一度いやされた人を呼び出して、「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」と、イエス様が罪人だと言うのです。
生まれた時から見えなかった人が見えるようになったことを聞けば、ともに喜んで祝うのが人の道です。ところが、パリサイ人は神の良いわざを見ながらも、救い主として来られたイエス様のことがわからなくて、むしろ捕らえて殺そうと罪に定めるなど、神にはなはだしく立ち向かいました。しかし、この人は正しい良心をもって、目をあけることはただ神だけがおできになることと知っていたのです。

第三に、恵みを受けた後、新しい人生を決断したからです。
病気で苦しんでいるうちに神を見つけて健康を回復し、さまざまな人生の問題が解決される大きな恵みをいただいても、世に向かう人々がいます。病気の時は「いやしてくださるなら、主だけのために生きます」と祈るけれど、いやされて健康を回復し、祝福されるなら、自分の利益を求めて恵みを捨てます。
ところが、この人は恵みを捨てない良い心を持っていたので、イエス様に出会って、見えるようになったのです。一番大切な救いの祝福までいただいて、イエス様が「あなたは人の子を信じますか。」と言って、「あなたと話しているのがそれです。」と悟らせると、彼は「主よ。私は信じます。」と言いました。これは単に信じるという意味ではなく、イエス様をキリストとして受け入れるという意味です。主だけに従って、主だけのために生きるという信仰の告白です。
神は、すべての人がこのような心を持って、みもとに出てくることを望まれます。病気をいやし、祝福を下さるから神を捜すのではなく、ひとり子も惜しまなかった神の愛を悟って、イエス様を救い主として受け入れることを願っておられるのです。


 

 

 
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