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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

火のような祈り

万民ニュース   第 97 号
9882
2010. 11. 28


「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」(ヤコブ5:16)

火のような祈り」とは御霊に感じて聖霊に動かされ、満されているうちに神のみこころに従ってする祈りです。義人の祈りのように、神のみこころにかなった祈りは、神が喜んでその香をかがれます。神に喜ばれれば、御霊によってその喜びが祈る人の心にも伝えられます。すると、祈る人はよりいっそう御霊に感じて聖霊に動かされ、満されるようになります。まるでめらめらと燃え上がる火のように、心もからだも熱くなって、幸せと喜びで満たされます。まさにこのような祈りが「火のような祈り」です。
それでは、どのようにしてこそ火のような霊の祈りができるのでしょうか?


1. 自分の思いを働かせて祈ってはいけません

まず聖霊に満されてこそ、聖霊の働きかけに従って、神のみこころにかなって祈れます。御霊に感じているうちに祈れば、どんな課題で祈っても、父なる神の心にかなう祈りができます。しかし、自分の思いを働かせて祈る時は、神が願われる流れと違って、とんでもない祈りをすることもあります。また、神が喜んでかがれるほどの香になれないので、火のような霊の祈りをするのは難しいのです。
自分の思いを働かせて祈れば、自分が見て良いとおりに求めるようになります。「神様がこのように答えてくださればいい」「こういう方法で祝福してくださればいい」など、すべてを自分の思いに合わせて祈ると、聖霊に満たされることが難しいのです。
<マタイの福音書18:19>に「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」とあります。ここで「ふたり」とは、まさに祈る人とその人のうちにおられる聖霊のことです。
私たちが聖霊と一つになり、聖霊に働きかけられるまま祈れば、「ふたり」が心を一つにして祈るのです。このような祈りの威力は大したものです。どんな事でも、祈るとおりに父なる神がすべてをかなえてくださるからです。いつも聖霊と心を一つにして祈ることによって、求めることはみな答えられ、神に栄光を帰されますように。


2. 心から悪を捨てなければなりません

心から悪を捨ててはじめて神が望まれる祈りができます。ここで「心の悪」とは、熱心に聖潔に向かって進んでいる人の心にまだ残っている悪のことではありません。このような人は、心に悪が発見されれば、すぐに悟って悔い改められます。たとえまだ完全に聖められてはいなくても、神との間に罪の隔ての壁が積まれません。ところが、心の悪が表に現れても、自分の悪が悟れない人がいます。
たとえば、自分の義のゆえに平和を破ります。または、教会や目上の人に対して不平を言って、不満を持ったりもします。自分より劣っているように見える人がほめられれば、すぐ悔しくなって認めたくなくなり、それを口に出します。ほめている人やほめられている人の悪口を言ったり、さばいたりします。たとえそのように口に出さないとしても、自分から気を落としてしまい、聖霊に満たされなくなったりもします。こういう心と口、行いはみな悪から出たものです。心に悪をいだいて祈るとき、その祈りは神のみもとに立ち上りません。<箴言15:29>に「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」とあり、<詩篇66:18>には「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあります。したがって、まめに心の割礼をすることによって、悪はどんな悪でも避け、神が願われる祈りをささげて、求めることはどんな事でも答えられますように。


3. 教会と牧者と魂のために、心から愛をもって祈らなければなりません

私たちが祈るとき、祈らなければならないからとか、いつもしているとおりに祈ってはいけません。たとえば、教会のために祈るとしたら、どうしたらよいでしょうか? 教会を愛する心をもって、終わりの時の摂理をすべて実現することを切に望む心で祈らなければなりません。ところが、教会のために祈るといいながら、思いは全く違う所に行っていたり、教会とかかわりのない他の祈りをすれば、その祈りは香が全く立ち上りません。
牧者と魂のために祈る時も同じです。いつもしているとおり、口先だけで祈るのではなく、心から信じて、牧者と魂を愛するゆえに祈らなければなりません。たとえば、魂のために祈る時も、ひとりでも多くの魂が救われるように望む牧者の心にならなければなりません。罪と悪がはびこっているこの世代の中にあって、聖徒が惑わされないように、再び罪を犯さないように望む、切なる牧者の心で祈らなければならないのです。
教会のすべての働きのためにも、ただ神に栄光だけを帰すことを望む牧者の心で祈るべきであり、いくら些細なことでも神の栄光を遮る事が起これば、ひどく申し訳ない心で祈らなければなりません。聖殿建築も同じように、ただ「うまくいったらいい」という心で祈るのではなく、神を愛するなら、聖殿建築をまるでわが家を建てるかのように感じて、愛と心を込めて祈るでしょう。
このように、どんな事でも、心から信仰と愛をもって祈るとき、祈ったすべての内容が全き香になり、父なる神のみもとに立ち上り、全き香をささげたほど報いが与えられます。したがって、いつも火のような霊の祈りをささげられますように、主の御名によって祝福して祈ります。


 

 

 
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