光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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あなたのみことばはともしび、光です_ 「
光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
信仰の量り(20)
万民ニュース
第 89 号
6621
2010. 04. 11
「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3)
今から七回にかけて神様に喜ばれる信仰、すなわち、信仰の五段階について語ります。
1.「どれほど神のみこころのとおり行なうのか」によって変わる信仰の量り
私たちが同じように主を信じるといっても、「どれほど神のみこころのとおり聞き従っているのか」という行ないの程度は千差万別なのが見られます。たとえば、<テサロニケ人への手紙第一5:16-18>に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。このように信仰生活をしている人々によく知られているみことばでも、完全に聞き従っている人はそんなに多くありません。いざ難しい事にあえば、悲しんで不平を言って、祈りをやめてしまいます。試みにあって気を落とし、使命を果たすことができない人もたくさんいます。しかし、神のみことばのとおり聞き従うために努力すれば、徐々に信仰が大きくなって、聞き従える力が与えられます。
初めは聖霊を受けて、信仰の一段階から出発しますが、神のみことばを聞いて、学んで、行おうと努力し始めれば、信仰の二段階に入るようになります。信仰の三段階になれば、みことばどおり守り行なえる力が与えられ、一歩進んで心の根の根にある罪の性質まで捨ててしまえば、信仰の四段階に入ったのです。そして、さらに完全に御霊に属する実を結ぶようになれば、最高の信仰である信仰の五段階に至ることができます。
2. 信仰の量りに応じて違ってくる神の愛
信仰の段階が高くなるほど、聖書にあるすべての祝福を体験して生きていくようになります。将来、天国ですばらしい場所に入って、さらに栄えある報いを受けるだけでなく、この地上でも祈ったとおりすぐに答えられて、すべてのことにおいて生ける神のみわざを体験していくのです。信仰の四段階は「神様をこの上なく愛する段階」と言いました。神様をこの上なく愛するので、世の何よりも、誰よりも神様をもっと愛する段階であり、何の代価も願わないで条件をつけずに神様を愛する段階です。
もちろん、信仰の一段階や二段階も、自分なりに神様を愛する心はありますが、神様の前に認められようとするなら、口で告白すること以外にも、行ないに偽りがなく、移り変わりがあってはなりません。多くの人が大いに恵みを受ければ、「神様に命もささげます」と言います。しかし、このような恵みが冷めれば、また以前の生活へ戻ったり、自分の大切なものをささげなければならない状況に直面すれば、惜しんだりします。
<ヨハネの手紙第一5:3>に「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」とあります。しかし、神を愛すると言いながら、その命令を守っている人がはたしてどのくらいになるでしょうか? ですから、信仰の四段階に入る前には、自分なりに神様を愛していると言いますが、まだ「神様をこの上なく愛する信仰」と認められません。
私たちが信仰の四段階に入れば、この世の何よりも神様を第一に愛して、自分のすべてを神様にささげられます。また、神様を愛するので、どんな迫害や殉教にあっても、神様の戒めを完全に守って聞き従うようになります。そのような人が「父なる神様、愛しています」と告白すれば、神様の前にうるわしい香として立ち上るでしょう。今日は罪と悪がはびこって、信仰の四段階の人も見つけるのがやさしくないので、四段階にだけ入っても、神様がとても尊く思われて、愛してくださるのです。
<箴言8:17>に「わたしを愛する者がわたしに愛され、わたしを熱心に捜す者がわたしを見つける。」とあるとおり、私たちが神様をこの上なく愛すれば、神様もこの上なく愛して、いつもともにおられる証拠を見せてくださるのです。ところで、信仰の五段階に至れば、愛の次元がもう一段階違ってきます。単に愛して戒めに聞き従う次元でなく、神様の心と御旨を推し量って聞き従う次元ですから、神様に喜ばれるのです。
3. 神様に喜ばれる信仰の五段階
それでは、信仰の五段階、すなわち「神様に喜ばれる信仰」とは、はたしてどんなものでしょうか? 子どもたちが親を愛する程度はそれぞれ違います。親の言うことをよく聞く子どももいて、よく聞かない子どももいるし、時には完全にさからったり、ぐれたりする子どもたちもいます。一方、よく言うことを聞く良い子どももいて、これよりもう少し良い子どもは、親を愛するのでその心を痛めないようにしようと、ただ聞き従うだけです。
これよりさらに愛が優れた子どもの場合、親が何かをしなさいと言うとき、なぜそう言うか、親の心まで推し量って、親が願うこと以上をします。また、させないことまで探して、親の心にぴったり合うやり方であらかじめしておくのです。これはただ言うことを聞くことや従う段階を越えて、心にからにじみ出て従う次元です。
もちろん、親はすべての子どもを愛するものですが、ある子どもがこのように特別に親を愛して、心からにじみ出て聞き従えば、親もその子をもっと深く愛するしかありません。しかも親の良いところにそっくり似て、親の心の奥まで推し量って、することは何でも気に入るようにしてくれたら、親はどんなにその子を喜ぶでしょうか?
神様も同じです。聖書に「しなさい、してはならない、守りなさい、捨てなさい」とあるすべての戒めに完全に従う子どもがいるならば、この上なく愛してくださいます。一歩進んで、神様の深い心と御旨まで推し量り、すべてのことに神様の心に合わせて行なえば、神様がどれほど喜ばれるでしょうか?
信仰の五段階の人は、ある瞬間だけあふれる行ないを見せたり、時々濃い愛をささげたりするのではありません。一日24時間、毎分毎秒、自分を喜ばせようとする心が全くなく、ただ神様に喜ばれようと生きていき、また、魂たちに仕えるために生きます。そのような姿が10年になっても、100年になっても変わることがないし、かえって優るだけなのが信仰の五段階です。
もし神様を信じる前も、肉の親に仕えるとき、心を尽くして真実に愛して仕えた人ならば、信仰にあって神様に仕える時もそうでしょう。肉の親は自分のからだを生んでくれただけですが、私たちは人の道に従って愛するようになります。まして神様は私たちの霊と魂を生んでくださった霊の父であられます。しかも自分が死ぬしかない罪人だったとき、自分のためにひとり子のいのちまで与えてくださったことを悟なれば、どうして愛さないでいられるでしょうか?
肉の愛は完全なものでなく、極限状況になれば変わってしまうこともある愛です。親と子だけでなく、兄弟の間の愛も、夫婦の愛も、友だちの友情も同じです。私は六人兄弟の末っ子に生まれて、両親にこの上なくかわいがられて育ちました。私も両親をとても愛して、何としてでも両親に喜んでもらおうとしました。それで、私は世のどんな親と子にも劣らず濃い愛を分かち合ったと思っていましたが、極端な状況になると、結局その愛が変わるのがわかりました。
私が神様を信じる前、家族と知り合いに病気のため、ずいぶん迷惑をかけました。年月が経つほど病気はひどくなって、回復の見込みがないように見えると、友だちも、親戚も、私を愛していたすべての人々がひとりひとり顔を背けるようになりました。両親も、初めは何としてでも私を生かすために最善を尽くして薬を求めてくれましたが、結局はあきらめてしまいました。私を訪ねてきた母が「いっそのことお前が死んだほうが親孝行だ」と号泣する姿を見ながら、私は肉の愛がはたしてどんなものなのかを身にしみて悟りました。
しかし、神様の愛は違いました。私にはささげるものが何もなかったけれど、神様は条件をつけずに私を愛してくださいました。まず愛の御手を差し伸べて、すべての病気をいやしてくださいました。その後、33年間、神様の愛は一度も変わったことがありません。
どんな絶望的な状況でも、神様を呼ぶ時はいつも答えて、求めれば良いものだけ下さったし、捜せば見つけるように導いてくださいました。もちろん私たちが真理からはずれて死の道に向かっている時は、まるで神様が御顔を背けられたように見える時もありますが、その道から立ち返りさえすれば、直ちに暖かくいだいてくださって、変わらない愛で天国まで導かれる方がまさに私たちの父なる神様です。
私は肉の親も心と最善を尽くして愛しましたが、このような神であられる父を見つけたのですから、どうしたでしょうか? 当然、心と思いと最善を尽くし、力と知恵といのちを尽くし、神様を愛しました。何としてでも神様に喜ばれようと、熱心にみことばを聞いて学んで、最善を尽くしてみことばに聞き従っていったのです。ですから、主を受け入れてあまり経たないうちに、すみやかに信仰の四段階、五段階に入れました。
4. 信仰の五段階に臨む祝福
信仰の五段階に入って神様と互いに愛を分かち合う幸せは、言葉で説明することができません。すべての面で多くの祝福を受けるので幸せなのでもありますが、その中でも最も大きい幸せは、まさに父なる神様といつも交わりながら深い愛を分かち合う幸せです。
世の人々がとても幸せな状況になれば、「この瞬間が永遠に続けばいい」と言ったりしますが、この地上で感じる感動と喜びはいくら良くても、さほど経たないうちになくなるものです。ところが、全く聖なるものとされた人は、世で得られるどんな喜びと幸せよりもっと満たされた感じでいつも心が一杯です。ひとりでいても、道を歩いていても、人に会っても、何を見て聞いても、心には父への愛がぎっしりだし、すべてのことに父の愛が感じられます。
神様のほうからも、あまりにも愛されるので、皆さんの存在そのものが神様にとって喜びになります。寝てもさめても、座っても立っても、何を言ってもどんな事をしても、神様がご覧になってあまりにもうれしいし、かわいいのです。信仰の五段階に入って、すべてにおいて御霊に属する心になれば、思いと言動が何をしても神様の心にぴったり合って、一つ一つが神様に喜ばれるようになります。神様が人間を創造された理由が、まさにこのような子どもを得るためです。私たちが父のうちに、主が私たちのうちに、互いに心が一つになって、真実の愛を分かち合って、その中で無限の幸せを味わおうとされるのです。
次回は、信仰の五段階の特徴はどんなものか、具体的に説明します。
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