光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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信仰の量り(17)
万民ニュース
第 86 号
6668
2010. 02. 28
「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3)
今回は信仰の量りと善の四段階との関係、御霊の人になっても捨てるべき「肉の痕跡」について語ります。
1. 信仰の量りと善の四段階との関係
信仰の量りを「善の四段階」に関連させて説明してみましょう。
善の一段階は、相手が悪をもって対するとき、心は穏やかではありませんが、我慢して悪をもって報いない段階です。世では善の一段階になっただけでも、「本当に心の良い人だ」とほめられます。信仰の量りでいうと、神のみことばどおり行なえる信仰の三段階がこの善の一段階に当たります。しかし、これでは神様はまことの善だと認められません。うわべで悪を行なうのではないけれど、心の中に悪が残っているからです。
次に、善の二段階は、相手が自分に悪をもって対しても、何の悪い感情もいだかない段階で、心に揺れ動くものがなく、相手を赦すことができます。こういう善に至ったならば、心に悪がないので、御霊に属する心になったということであり、信仰の四段階に当たります。
信仰の四段階でも、さらに深く入った人、あるいは、信仰の五段階の入り口に至った人は、悪をもって対する相手を何の悪い感情もなく赦すだけでなく、かえって良い言葉と行ないで相手の心を溶かして、感動を与えることもできるのです。これが善の三段階です。
最後に、善の四段階になれば、悪をもって対する相手のために自分のいのちまで渡すこともできる献身と犠牲の愛が臨むようになります。これは信仰の五段階に当たり、神様に喜ばれる人々の姿です。イエス様は良い人のためにだけでなく、悪い人まで救うために、命でさえ渡してくださいました。十字架で死にかけておられながらも、自分に釘を打った人々のために赦しを請うとりなしの祈りをささげられました。まさにこのような愛を施すことができるとき、最高の善の段階に至ったと言えるのです。
神様の前に認められる善といってもいろいろな段階に分けられるように、信仰の四段階でもその程度が違います。「どれほど神様に似せられたのか」「どれほど御霊の実がうるわしく結ばれたのか」によって、10パーセント、40パーセント、あるいは80パーセントと違ってくるようになります。したがって、御霊の実が結ばれた程度を見ても、どのくらいの信仰か推し量れます。
信仰の三段階は、みことばどおり行ないながら、心にある悪を捨てていく段階ですから、悪を捨てたほど御霊の九つの実が結ばれます。ただし、完全に結ばれたというよりは、ただ実が結べる基盤が整えられたようなものです。りんごの花が落ちれば、花があったところにとても小さい実が結ばれます。まだ取って食べるほどのものでもなく、あまりにも小さくて、実と言うにも足りないのですが、実が熟する兆しはありそうです。
神様をこの上なく愛して、心の罪の性質をすべて捨てて信仰の四段階に入れば、御霊の実が形を現し始めます。しかし、この時も完全なものではなく、御霊の実のうち、ある実は50パーセント、あるものは70パーセント実っているところだと言えます。それなら、御霊の歩みに入った四段階と、全く聖なるものとされた五段階とには、どんな違いがあるでしょうか? 信仰の四段階では、罪をすべて捨てたとはいえ、まだ「肉の痕跡」と言えるようなものが残っています。人が原罪を持った罪人として生まれて、罪と悪によって変わってしまった世で生きてきたので、肉の人として生きてきた痕跡が残っていることもあるのです。それまで完全に捨ててこそ、全く聖なるものとされて、神のご性質にあずかれるようになります。
2. 信仰の四段階の人が捨てるべき「肉の痕跡」
「肉の痕跡」は、御霊の人に変えられる以前に持っていた、もともとの性分や気質ともかなり関連があります。たとえば、ある人は態度をはっきり決めて、真実だし、正しい性分ですが、愛と徳が欠けている面があります。ある人は愛を実践することが好きで、愛は豊かなようですが、感情に支配されやすかったり、言葉と行ないが荒っぽかったりすることがあります。
このように、信仰の四段階に入った後も、たとえ悪ではなくても、前に持っていたこういう部分がしみのように残っているのです。まるで、垢がしみついて黄ばんだ服が洗濯をしても元の色へ戻らないようなものです。このように、ひとりひとりがこの地上に生まれて、人間耕作を受けるために肉の世で生きていきながら入力されたことが、罪をすべて捨てて聖められた後も、痕跡として残って影響を及ぼすのです。それで、信仰の四段階に至れば、御霊の人ではあるものの、「肉の痕跡」のようなものが残っていて、真理の実を完全に結んでこそ本当に神様に似せられたと言えるのです。
御霊の人と全く聖なるものとされた人の違いを、理解しやすいように例を挙げて説明しましょう。アブラハムがエジプト王に妻サラを奪われた出来事がありました。アブラハムがエジプトの地に入るとき、エジプトの人々が自分の美しい妻サラを奪うために自分に害を加えることもありそうでした。それで、妻サラを妹だと言わせました。もちろん、血縁関係から言えば、実際にサラは親戚だったので、妹だと言ったのは嘘ではありません。また、アブラハムが卑怯な心だったとか、神様を信じなくて、おじけづいたのでもありませんでした。
アブラハムには、万が一の事態が起これば、十分に迎え撃って対抗する勇気もあったし、神様の力で勝てるという信仰もありました。それにもかかわらず、初めから問題が起きそうな素地がないように、自分なりに賢く対処したつもりで、サラを妹だと言う方法を使ったのです。これは真理に逆らう肉の思いではありませんが、この地上で人間耕作を受けている人なので、そのような限界の中でありうる人間的な思いでした。このようなものを「肉の痕跡」と言うのです。
もし、アブラハムが完全で、すべての面で御霊に導かれていたなら、こういう一瞬の思いも働かさないで、完全に神様により頼むようになるでしょう。それで、神様は、アブラハムが完全に神様により頼む人になれるように、訓練を受けるよう許されました。エジプト王がサラを自分の妻にしようと連れて行ってしまったのです。この危機的な状況で神様が働かれて、パロの家に災いを下して、アブラハムは劇的に妻を取り戻します。アブラハムはそれ以前も神様を信頼していたのですが、この出来事を通して、もう一度神様の全知全能さを切々と体験して、神様にさらに完全に頼る信仰を持つようになりました。
実際的な例を挙げてみましょう。ある人が、神の働きを行なうことにおいて、目下の人々が担当したことまでもいちいち指示して、干渉するとしましょう。この人は自分の益を求める心や、相手をつらくさせようという心でなく、ただ神の御旨を実現したいと願い、相手も祝福されることを願うので、良い方法を教えようとするのです。ところが、これが相手の立場からは重荷に感じられたり、わずらわしく思ったりすることもあります。
この時、目上の人の姿は、自分の義と枠があるので相手をつらくさせる信仰の三段階と似ているように見えるかもしれません。しかし、三段階の自分の義に基づいて行なう人は、自分がほめられて見せたい心、さばく心、高ぶりゆえに相手を無視する心が底にありますが、御霊の人はこのような悪の心がないし、何としてでも神の働きを立派にやり遂げようとする熱さがあって、そのような行ないが出てくるだけです。ただし、このような時も、主の心にさらに似せられたならば、もっと正確に御霊に働きかけられて、完全に平和を追い求めることができます。
したがって、周りとぶつかる時は、よりいっそう自分を低くして、顧みなければなりません。相手の信仰と心と立場をもう一度顧みて、たとえ働きの進み方が遅くても、真理に逆らわなければ、時には耐えて待つべきなのです。「私は本当に良い意図で話をしているのに。これが本当に神の国にとって益になる方法なのに。あの人たちが悪いから私の言葉を受け入れられないんだな」と、相手のせいにだけして残念がるだけならば、自分にもそれ以上発展がありません。
信仰の四段階の入り口で霊的な成長の停滞が起きる場合が、まさにこのような理由によるのです。自分は御霊の歩みに入って、悪がないし正しいので、自分の正しさだけを見て、さらに深い善の次元が悟れないのです。ですから、信仰の四段階に入って悪がないとしても、こういうことまで完全になるためには、もう一度神様がお許しになった訓練を受けていくのです。これについては次回、さらに詳しく説明します。
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