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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

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万民ニュース   第 83 号
6496
2010. 01. 17


「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。」 (ルカ5:38)

「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければならない」とは、すべての真理に逆らう思いや知識など、以前の古い生活を捨てて心を新しくし、イエス様の新しいみことばを受けなさいという意味です。
待望の2010年を迎えて、誰もが使命をよく果たして御霊の人に変えられようと、心が熱いでしょう。多くの人が使命を受けるとき、「私のような人にどうしてこんな祝福を下さったのでしょうか。心と思い、力を尽くして忠実に仕えます」と決意を固めます。それでは、初めて持った熱い心が変わることなく、新しい心で新年を過ごすためには、どういう姿勢が必要でしょうか?

第一に、真実でなければなりません

炎のような御目ですべてを探られる神は人の心の奥までご存じです。しかし、神を信じているといいながらも、真実の心にならなければ、神を欺こうとすることがあります。初代教会の時代、ペテロを欺いたアナニヤとサッピラ夫婦がそうでした。持ち物をすべて売って神にささげようとしたなら、自分なりに信仰があるという人々です。それなのに、欲が心に入り込み、思わず神の力を行うしもべを欺いてしまいます。これは神を欺いたのと同じですから、結局救われませんでした(使徒5:1-11)。
今日も同じです。心が真実でなければ、神の御前で偽りを行うことがあります。慕っていないのに慕っているふり、信仰がないのにあるふりをして、偽善を行うことがあります。自分が偽善を行っていることが悟れなくて、忠実な働き人とだけ思います。時には、自分の功を立てるために神の国に役に立たないことを推進したりします。また、誰かが見ている時は忠実であり、ひとりでいる時はそうでありません。これはすでに真実とはかけ離れているのです。<エペソ5:9>に「──光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです──」とあるとおり、神を愛して忠実に仕え、真実の実を持って神の御前に大胆に立つことができますように。

第二に、仕えがなければなりません

仕えとは、自分を犠牲にすることです。仕えるためには、自分の時間と物質と努力を注いで、犠牲になることが多いからです。ところが、行いで犠牲になることも大切ですが、さらに大切なのは相手を思いやる心です。たとえば、他の人の願いを聞いてあげながらも、終始表情はこわばっていて、返事も無愛想だとします。それでは相手が顔色を見るだけでなく、「私は面倒なことを頼んだようだ」と思うと、次にはお願いしようか迷います。この場合、いくら良くしてあげても、「仕えた」とは言えず、むしろ怖く感じられます。このように自分のひと言、表情一つ一つを、みな「仕え」という基準から顧みなければなりません。
また、互いにどれほど愛で仕えているか顧みなければなりません。たとえば、掃除もそうです。教会にはいろいろな人が一緒に使うトイレや廊下、階段などがあります。ある人は、誰かがさせなくても、自分の事のように見回って掃除します。一方、ある人はいくらトイレが汚くても、気を遣いません。しかし、神は誰が教会を愛して、周りの人に心から仕えているのか、一つ一つ見ておられます。ある人は、その人の使命でないことを任せると、「私の使命でもないのに、なぜこんなことまでしなければならないのか?」とつらく思います。このように不満をもって働いたとすれば、たとえ行いでは仕えたとしても、報いを受けることができません。
世では結果だけ出せば認められます。しかし、主にあっての働きは、信仰と愛でする時こそ天国の報いになります。世では、お金を受け取った分、自分の仕事だけすればよいのですが、教会では務めに当たることだけでなく、神の働きが全部自分の仕事です。世では、低い人が仕えて、高い人が仕えられます。しかし、神は仕える者が偉い者だと言われます。心から仕える時に偉い者になり、この地上でも人々から尊ばれて、天国でも大きい栄光を受けるのです。

第三に、行いがなければなりません

神のみことばを聞き流してしまわずに、守り行わなければならないのです。<ローマ2:13>に「それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行う者が正しいと認められるからです。」とあります。もちろん、初めから真理のとおりだけ行うことはできません。しかし、みことばどおり生きるために、休まず努力していかなければなりません。神がその努力をご覧になって、聖められた御霊の人に変えられる恵みと力を下さいます。
初めて使命を受けた時は、使命を果たすために必ず聖められようと心を固めたでしょう。ところが、信仰歴が積まれて、務めが高くなるにつれて、心の割礼をしようという切なる心が冷めます。ひどく悪を行ったり、平和を破ったりすることはありませんが、悪をおおっておきます。真理を聞いて頭でわかるので、自分を抑えるのです。すべき事をして、いなければならない所にいるので、自分はよくやっていると思います。しかし、礼拝と祈祷会に習慣的に参加していたり、やむをえずそこに座っていたりしていないでしょうか? そのような状態が続けば、信仰が停滞して聖霊に満されなくなるので、まかり間違えば、救われるのが難しい肉の行いを犯したりもします。神の力を生活の中で直接体験する信仰生活をしていながら、ただ救いの問題に悶々としていてよいでしょうか?

愛する聖徒の皆さん、新年はさらに力強く新しいエルサレムを目標に走って行かなければなりません。神は私たちが力強く走って行くよう願われています。切に慕う心でみことばを聞いて悟って、行いで変えられる幸いな聖徒になるようお願いします。


 

 

 
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