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光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
       
 
  
 

「十字架の道」シリーズ (5) - 人間を創造された神様

万民ニュース   第 42 号
8191
2006. 6. 4


人間を創造された神様

「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」<創世記2:7>

神様は、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもない方であり、人の想像もできない遠い大昔から、「私はある。」という方としておられました。そうするうちに、いつしか神様は一つの計画を立てるようになられました。天地創造と人間創造の計画でした。その計画を成し遂げるために、神様は永い歳月にかけて、一つ一つの準備作業を行なわれました。
まずは、神様がおられた霊の空間から、将来、天地万物と人間をお造りなる、肉の空間を分けられました。そして、本来、おひとりでおられた一人の神様から、御子と御霊の神様を分離なさることにより、御父・御子・御霊の三位一体の神様として存在されるようになりました。そしてその時から、神様もかたちをまとわれましたが、それが私たち人間と同じかたちでした。
霊の世界の中には、天の軍勢、天使、ケルビムなどの霊の存在を、肉の空間の中には、将来人間が生きていく地球を造っておかれました。このようにすべてを用意されてから、神様は六日間、光と大空、太陽と月、星そして種類にしたがって食物と動物など天地万物を創造され、最後に人を造られました。
では、神様はなぜ人をお造りなったのでしょうか? まことの人間の価値を悟るためには、神様が人間を創造された目的を悟らなければなりません。

1. 聖なる神様のかたちに造られた人間

<創世記2:7>に、「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」とあります。神様は万物をみことばで創造されましたが、人は直接、土地のちりで形造られました。五臓六腑とすべての組織まで、完璧にお造りになりました。いのちの息を吹き込まれると、その時から人は、生きて動く「生きもの」となりました。
ある人々は「土地のちりで造られた形が、どうやって生きて動けるのだろうか」と、信じられません。しかし、被造物である人も知識が発達すると、人に似たロボットも作り出します。人の頭脳をまねてコンピューターを作ったり、人工臓器や人工皮膚を作り出したりもします。
まして全能な神様が人を創造されることが難しいでしょうか? 人が自分の思いの中に限界を作っておいたので、神様の御力を信じられないだけです。こういう思いの限界を抜け出すように、神様は今日も本教会を通して創造のみわざを見せてくださいます。
創造主の神様は、最初の人アダムとエバをお造りになってから、人が子孫を引き継ぐように、命の種を→削除である男の精子と女の卵子を与えてくださいました。精子と卵子の中には、親のすべての気質が結集されていて、容貌はもちろん、性格、知能、習慣などが似るようになります。
それでは人類の先祖であるアダムはだれに似たのでしょうか? <創世記1:27>に「 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」とあるように、アダムとエバは聖なる神様のかたちに造られました。
ただ表面の姿だけではなく、人の霊が神様の霊から出てきて、神様に似せられた霊です。人において重要なのは霊と魂であり、からだは霊と魂を入れる器にすぎません。初めに造られた時のアダムの霊は、聖なる神様のように、善と光、真理だけで満たされていました。
ところが、アダムが善悪の知識の木の実を取って食べることによって罪を犯してから、人類はますます罪と悪に染まっていきました。結局、聖なる神様のかたちを失くしてしまいました。

2.人間を造られて耕作なさる理由

私たちが「なぜ生きるのだろうか?」という人生の目的については、創造主の神様が「なぜ人間を造られて、この地上で耕作されるのか」を悟ればよいのです。聖書には特別→削除に地を耕して穀物を取り入れるたとえがたくさん出てきます。
<マタイ13章>では、イエス様は、人の心を四つの畑にたとえられました。また、<マタイ3章>の麦と殻のたとえや、<マタイ13章>の麦と毒麦のたとえで、将来の審判について説明されました。麦のような魂たちは、審判の日に天国の倉に入るけれど、毒麦と殻のような魂たちは、地獄の火に投げ込まれる、ということです。
聖書のこのようなたとえを通して、神様は、この地上に人を造られて人類の歴史を摂理のうちに働かれる過程が、まさに耕作のようだと教えてくださいます。農夫が刈り入れるために地を耕すように、神様も農夫のように、私たちを耕作しておられるということです。
それでは、神様はなぜアダムを創造されて、人間を耕作されているのでしょうか? それは神様と愛を分かち合う子どもを得るためです。創造主の神様は驚くべき御力と、恐ろしい審判者としての権威、厳格な公義など、神聖的な面を持っておられますが、これと同時に、愛と憐れみ、慈しみなどの人性的な面もお持ちです。だから、人間のように喜んでうれしく思われたり、悲しんで嘆いたりもされる人性を持っておられるので、神様はさびしくおひとりでいるよりは、互いに愛を分かち合う対象を願われたのです。
あえて人間を造らなくても、神様には多くの天使と天の軍勢がいました。彼らは無条件に従う存在で、神様を崇めてたたえて栄光をささげましたが、神様は心からにじみでる愛と自由意志の中で従うまことの子どもたちを望まれました。
たとえば、皆さんの家庭になんでも命じられたとおり聞き従うロボットと、たまには問題を起こしたりしますが、年を重ねるほど、親の恵みと愛に感謝しながら共に心を分かち合う子どもがいるなら、どちらがもっと大切でしょうか?
いくらよく従って人に似たロボットだとしても、心が分かち合えるまことの子どもに比べることはできません。神様も、このように神様を愛して、自ら聞き従う子どもたち、心が分かち合えるまことの子どもを願われたので、人を造られたのです。

3. 麦と殻

農夫が最善を尽くして耕作しても、収穫の時は麦だけではなく、殻も混ざって出るものです。殻は食べられず、麦と一緒に倉に入れておくと、麦まで食べられなくなります。ですから、殻は肥料として使ったり、火に焼いたりしてしまうほかありません。
同じように、神様も人間を耕作された後、最後には麦と殻とを分ける作業をされます。<マタイ3:12>を見ると、「手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」とあります。
ここで「消えない火」とは、地獄の火を意味します。神様が決めておかれた終わりの時が来ると、神様は人間耕作を締め切って、この地上に生きたすべての人々を審判なさいます。この時、麦になれなくて殻になった人々は、審判を通して地獄の火に落ちるようになります。
「麦」とは、イエス・キリストを受け入れて、神様を愛してみことばのとおり生きていく人々を言います。一生懸命に罪と悪を脱ぎ捨てて、聖なる神様のかたちを回復した人々です。反面、「殻」とは、神様を信じないで、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れなかった人々を言います。
ところが、重要なことは、教会に通うからといって、みなが「麦」になるのではないということです。口では「主を信じます」と言っても、相変わらず神様のみことばに従わずに、世の中の欲を追い、罪と悪の中で生きる人々も「麦」ではなく「殻」です。それで<マタイ7:21>には、「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」と言われたのです。
神様はすべての人が神様の御心を知って、麦となって救われることを望んでおられます(第一テモテ2:4)。それで、ひとり子イエス様まで十字架の死に渡されました。それにもかかわらず、主を救い主として受け入れない人や、相変らず罪の中に生きる人々は、神様のかたちに造られた人としてのまことの価値を取り戻すことができません。このような人は「殻」にすぎません。
人としての価値を失った「殻」を、「麦」になった魂たちと一緒に天国に入れることはできません。憎しみ、そねみと、欲、争いとあらゆる悪を持った人々を天国に入れると、美しい天国が汚染されてしまうからです。
では、天国に入って来ることができない魂たちは、ただ消滅してしまうのでしょうか? 人の霊と魂は、永遠不滅なもので消滅しないのです。ですから彼らも集めて、永遠に地獄で閉じこめておかれるのです。「殻」になった魂たちは、各々の罪の報いにより、永遠の火の中で刑罰を受けるようになります(イ・ジェロク牧師著書『地獄』参照)。

愛する聖徒の皆さん、
人間耕作を通して、神様に似せられた清くて聖潔な心を持ったまことの麦、すなわち、まことの子どもになり、輝く天国で父なる神様と愛を分かち合いながら、永遠にとどまられますように、主の御名で祝福して祈ります。


 

 

 
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