光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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信仰の量り(11)
万民ニュース
第 75 号
7325
2009. 07. 26
「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3)
今回は、信仰の量りの三段階において、自分の義と枠を発見して捨てる方法と天国の場所について伝えます。
1. 自分の義と枠を捨てて霊に入るには
神様を信じて聖霊を受ければ、救われる信仰を持つようになります。このような信仰の一段階を経て、みことばを聞いて行おうと努力する信仰の二段階になれば、みことばどおり行なう時もあり、行なえない時もあります。
しかし、祈り続けながら努力していけば、ますます信仰が成長して、みことばどおり行なえるようになります。これが信仰の三段階です。みことばに込められた意味を悟って、みことばどおり行なうことが祝福だと知っているので、喜んでみことばに従って生きていくのです。
このようにみことばどおり行なえる信仰の三段階に入れば、心の罪の性質を捨てていかなければなりません。たとえば、「憤らない」ということと「憤り」という罪の性質そのものが心からなくなったこととは違います。
それで、悪を行なわず、みことばに従って生きている人だとしても、自分の中にある罪の性質を発見して、心から罪の性質そのものを引き抜いてこそ、信仰の四段階に入るのです。すると神のまことのこどもになり、御霊の人と認められます。
前回は、信仰の三段階にいる人が霊的に停滞しないで、すみやかに四段階に入るにはどうすべきなのか説明しました。
第一に、ある程度信仰が成長したからといって、罪との戦いをやめてはいけないと言いました。みことばと祈りによって、心の根にある罪の性質をすべて引き抜いて捨てる時まで、こまめに聖められていかなければならないのです。
第二は、肉の思いを捨ててこそすみやかに霊に入れますが、その中でも自分の義と自分の枠を打ち砕いて捨てなければならないと言いました。明らかに真理に逆らうもので作られた自分の義と枠は、みことばを聞きながら簡単に発見できるので、すぐ捨てられます。
ところが、ここで特に警戒すべきものは、真理で装われている自分の義であり、真理を間違って適用して作り出した自分の枠です。このようなものがあれば、自分では真理のとおり行なっているとだけ思うので、長い間霊に入れなくて、信仰が停滞するのです。
ところが、ある人は自分の義と枠がよく悟れなくて、もどかしく思うこともあります。自分は礼拝も休まないし、メッセージを慕って聞き、祈りもやめないのに、何が間違っているのか発見できないというのです。こういう人はほとんど、メッセージを聞いても自分に当たるメッセージとして受け入れられないし、祈っても火のような祈りをしません。
皆さんは、神のみことばを聞くとき、どれほど切実な心で、自分へのみことばとして受け取っているでしょうか? いつも聞いているみことばだと、ただ聞き流してしまったり、ほかの人へのみことばだと思ったり、あるいは、自分に当たるみことばだと思いながらも、「自分ではどうすることもできないから、神様が変えさせてくださるだろう」と言いながら、自分で努力することはあきらめていないでしょうか?
また、毎日、数時間祈っても、どれほど心を尽くして主を呼んで祈っているでしょうか? 祈るとき、同じ言葉を繰り返しても、神様の前に立ち上りません。また、御使いの異言のように流暢に祈るからといって、かぐわしい香としてささげられるのではありません。本当に心を尽くして、苦しみもだえて主を呼んで祈り、神様の前に太い香として立ち上る時でこそ、御霊に感じて、動かされ、交わり、満たされて、変えられることができるのです。
それだけでなく、「私がほかの人の勧めを聞くとき、どういう姿勢で聞いているのか」ということを顧みなければなりません。自分の義と枠が強い人は、ほかの人の指摘に対しても耳が閉じられています。自分が正しいことをしていると思うから高ぶってしまい、ほかの人の指摘を聞く時も、「私はそれほどの理由があるからそうなのに、あの人は私の立場が理解できない」と思います。
あるいは、誰かが指摘しても、「あの人は私より欠けているところがあるのに」と聞き流してしまったり、はなはだしきは、目上の人が諭している時も、「あの方も100パーセント正しくはないから、必ずあの方の言葉が正しいのではないだろう。どうしてもその言葉を聞く必要はないだろう」と思ったりします。しかし、こんな心の時は人の話が聞けないだけでなく、神様が下さる聖霊の声も聞けません。
信仰の三段階でも、中盤ぐらいに入って四段階に近づけば、簡単に発見できる罪と悪はすでに発見して、ほとんど捨てました。このような時、自分が悟れない自分の義と枠まで発見して捨てようとするなら、それだけもっと切実でへりくだった心で、徹底的に自分を顧みなければなりません。自分の欠けているところを発見することをもっと切に慕うべきであり、小さい者の言葉でも自分を変えさせようと、へりくだった心で受け入れなければならないのです。
このように自分の義と枠を打ち砕いて捨て、心の罪の性質まで発見して捨てれば、ついに霊に入ります。すなわち、信仰の四段階に入って、御霊の人と認められるのです。
2. 信仰の三段階が入る天国の場所、二天層
信仰の三段階になれば、みことばの中にとどまり、神の子どもらしく生きるので、こういう人の場所は、信仰の一段階の人が行くパラダイスや、二段階の人が行く一天層とは格が違います。パラダイスには個人の家がありません。一天層は、個人の家があっても、多世帯住宅のような形です。しかし、二天層では、独立した住宅が与えられます。
二天層の家は一階建てですが、この地上のどんな邸宅や別荘とも比べられないほど勇壮で美しいし、香りの高い花と木で飾られています。そして、主人が最も願うものとして、家についている付属施設が一つずつ与えられます。つまり、主人が美しい湖がほしいならば、家についている湖が作られています。プールがほしいならば、純金と宝石で飾られた華麗なプールが持てます。美しい草花がぎっしり植えられ、かわいい動物が遊んでいる美しい散歩路が与えられることもできるし、舞踏場を持つこともできます。
ところが、二天層ではこれらのうち一つだけが持てます。それで、必要に応じて互いにほかの家にあるものが使えます。これによって互いに仕えて、愛を分かち合うことができるので、使ってもらうのが幸せなのです。ですから、心安く楽しめるのです。
二天層の家には表札がかかっています。天国の文字で、主人の名前だけでなく、この地上で仕えていた教会の名前が一緒に彫られています。ですから、神様の愛される教会で信仰生活をしたならば、それだけ栄光と誇りが大きくもあるのです。
そして、二天層に入る人には、栄光の冠が与えられます。<ペテロの手紙第一5:2-4>に「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」とあります。
信仰の三段階の人は、心に完全な割礼はできなかったのですが、みことばのとおり行ない、自分の使命をよく果たして神様に栄光を帰しました。そのような人に与えられるものが、まさに栄光の冠なのです。このようにとても美しい場所にとどまるようになって、自分が行なったのと比べられない報いが与えられるので、感謝があふれます。
しかし、彼らにはそれでも残念なことがあります。みことばどおり生きて、熱心に使命を果たすだけでなく、心の罪まで捨てて完全に聖められたならば、どれほど良いだろうかということです。
聖められた人が行く三天層や新しいエルサレムの栄光は、二天層とは比べられません。もちろん、天国にはそねみ、ねたみがないので、よりすばらしい天国の栄光をうらやんで、自分がそれが受けられないので、心を痛めるのではありません。ほかの人が自分より大きい栄光を受けても、一緒に喜んで彼らを心から尊敬します。また、自分に与えられた場所と報いだけでも感謝と幸せがあふれます。
しかし、あまりにも申し訳ないのは、神様が自分をもあのように愛してくださり、多くの機会を下さったのに、完全に罪を捨てなかったことです。つまり、ただみことばを守り行なって、忠実であり、使命を果たすことだけでなく、心の罪の性質まで捨てて完全に聖められたならば、どんなに良いだろうかと思って、いつも残念なのです。
したがって、まことに信仰があるなら、いくら二天層が美しくてすばらしいとしても、ここで止まってはいけません。新しいエルサレムに向かって、休まず天国を攻めて行かなければならないのです。
神様は、すべての人が救われて、神様のまことの子どもに変えられて、新しいエルサレムに入ってくることを望んでおられます。それで、聖書には救いの道をはっきり記して、よりすばらしい天国に入る道も、細かく教えてくださいました。
ところが、各人の信仰が育つ速度は千差万別です。それで、ある人はすみやかに罪を捨てて変えられていきますが、ある人は変えられるのがあまりにも遅いのが見られます。<マタイの福音書19:30>に「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」というみことばのように、各人の差が現れるのです。同じみことばを聞いて、聖潔を慕って努力するとしても、このように違いが生じる根本的な理由は、人それぞれ心と器が違うからです。これについては、次の時間に伝えます。
愛する聖徒の皆さん、
私たちの人生が終わって天国に行くようになれば、各自の場所と報いが決められて、永遠の御国で主とともに生きていけます。この時、一度決められた天国の場所と報いは永遠に変えられません。したがって、この地上で与えられた時間に、熱心に天国を攻めて行けなかったと後悔しても、その時は何の役にも立ちません。
<エペソ人への手紙5:16>に「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。」とあります。皆さんに与えられた時間を尊く思って、霊に、全き霊にすみやかに入って、こまめに天国を攻めて行かれますように。それで、将来、天国で最もすばらしい天国、新しいエルサレムに永遠にとどまられますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
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