光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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十字架の道シリーズ[24] 永遠のいのち(2)-人の子の肉を食べて血を飲んでこそ永遠のいのちを持つ@
万民ニュース
第 61 号
8042
2008. 04. 20
「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。』」 (ヨハネ6:53-55)
イエス様を救い主と認めて、自分の罪を悔い改めれば、神様が聖霊を下さるので、新しく生まれ、永遠のいのちを得ます。ところが、主を受け入れて新しく生まれたからといって、永遠のいのちを完全に得たのではありません。霊の糧を食べて飲んで、主の満ち満ちた身たけにまで達しなければなりません。
このような霊と魂の成長のために必要な霊の糧は、人の子の肉と血、すなわち、主の肉と血であり、これを食べて飲むとき、永遠に生きることができるです(ヨハネ6:53-55)。
きょうはまず、人の子の肉を食べる方法について語ります。
1.「人の子の肉を食べる」というみことばの意味
「人の子の肉」とは、イエス様の肉、すなわち、霊的には聖書に記された「神のことば」を意味します。<ヨハネの福音書1:14>に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」とあるように、神のことばが人となってこの地上に来られた方がイエス様なのです。
<ヨハネの福音書6:51>には「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」とあるので、イエス様は「天から下って来た生けるパン」と言っています。
神のことば、すなわち、いのちのパンである人の子の肉をどのように食べるかは、子羊のたとえとも関連があります。<ヨハネの福音書1章>を見れば、バプテスマのヨハネがイエス様を「世の罪を取り除く神の小羊」と表現しています。
一般に羊は、羊飼いの声にだけ聞いてついて行き、性分がおとなしくて、人に益だけ与えます。イエス様も、ただ父のみこころに従って、おとなしい羊のようになだめの供え物になってくださり、人に良いものだけを与えてくださいました。羊の中でも、特に一歳の傷のない小羊は、さかりのつく前の純潔な状態であり、霊的には、傷もなく汚れもない私たちのイエス様をたとえています。
<出エジプト記12章>には、エジプト全域に初子の災いが臨むとき、神様がイスラエルの民に災いが臨まないように、傷のない一歳の子羊の雄をほふり、その血を門柱とかもいにつけて、家の中でその肉を食べるようになさいました。神様は子羊を食べる方法まで詳しく教えてくださいました(出エジプト12:8-10)。これは、その中に私たちのいのちと直接関わる、霊的な教訓が含まれているからです。
「その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。」(出エジプト12:8-10)
2. 子羊を食べる方法
1) 生のままで、または、水で煮て食べてはならず、火で焼かなければなりません。
ここで「火」とは、聖霊の火を意味していて、聖霊に感じて神のことばを悟り、糧としなければならないということです。また、聖霊の火をつけるためには、火のように祈らなければなりません。
<第二ペテロ1:20-21>に「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」とあります。
また、<第二ペテロ3:16>には、神のことばを聖霊に感じて解釈しないで、無理に解釈すれば、むしろ真理からはずれて滅びに至ると警告しています。聖霊に感じないで無理に解釈するということが、「生のままで食べること」や「水で煮て食べること」を言います。
それでは、「神のことばを生のままで食べる」とはどんなことでしょうか? 神のことばの中に記された霊的な意味が悟れなくて、書いてある文字そのままに解釈することを意味します。肉を生のままで食べれば、消化もよくできなくて、胃がもたれやすいように、神のことばも生のままで食べれば、とんでもない解釈が出て来ます。
<マタイの福音書6:6>に「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」とあります。もし文字そのままに解釈すれば、私たちが祈るためには、奥まった部屋を作って、そこに入って祈らなければなりません。しかし、聖書のどこを見ても、昔の信仰の人々が奥まった部屋で祈ったという箇所は探せないし、イエス様も、奥まった部屋でなく、園や荒野で祈られました。
ここで「部屋」とは、霊的に人の心を意味します。ですから、「奥まった部屋に入って祈りなさい」とは、奥まった部屋に入って戸を閉めれば、外部と完全に遮断されるように、私たちが祈る時は、人に見せるために偽善をすることもやめて、世の憂い悩みや雑念で同じことばをただ繰り返すこともやめて、心から神様と交わらなければならないことを悟らせてくれるみことばです。
次に、「水で煮てはならない」というみことばは、何を意味するでしょうか? 神のことばに向かうとき、ほかのどんな世のことも加えてはいけないという意味です。神のことばを伝えながら、政治や社会などあらゆる肉的な話をしたり、「ある哲学者はこのように言った」と世の知識を引用して、まるでその言葉が真理であるかのように説教する人がいます。
しかし、人の考えと知識はごく制約されたものであり、いくら立派な思想も完全ではありません。<コリント人への手紙第一1:25>に「なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」とあります。
神のことばは世のどんな知識よりも飛び抜けて優れていて、神のことばだけが唯一の真理であり、永遠に変わることがないのです。このようなことを心に刻んで、何かの知識や理論を伝えるのではなく、ただ聖霊に感じて解釈された聖書のみことばそのものを伝えなければなりません。神様が生きておられること、どうすれば神様に会えるのか、聖徒たちに向けられた神様のみこころは何か、どのように信仰生活をしてこそ救われるかを教えてあげなければなりません。まさにこういう意味で、子羊を水で煮てはならないと言われるのです。
2) その頭も足も内臓も、すべてまるごと食べなければなりません。
これは、創世記の最初からヨハネの黙示録の最後まで、すなわち、66巻の聖書に記されたすべてのみことばを糧としなければならない、という意味です。聖書を読むとき、レビ記のように理解しにくいみことばは飛ばして読む人や、聖書に明らかに記されているのに、不思議としるしは信じない人もいます。
このように人間の思いに合わないことを抜けば、結局残るものは真理でもなく、信仰でもないし、倫理と道徳に当たることだけです。それさえも、その中で守りにくくて行ないにくいことは心に留めもしないので、いくら神のことばを読むといっても、永遠のいのちを得ることができないのです。
神のことばは、自分の思いに合う特定の部分だけを取るのではなく、すべてのみことばを完全に信じて、糧としなければならないのです。それで、子羊を食べる時も、まるごと食べなさいと命じられたのです。
3) 朝まで残ったものは、火で焼かなければなりません。
朝までにすべて食べられなければ、残ったものは火で焼かなければなりません。霊的に「夜」とは、敵である悪魔・サタンが世の権威を持って支配している期間です。終わりの時になれば、世の罪と悪がますます満ちて、暗やみが深まります。そうするうちに、時至って主が再臨なされば、闇が退いて光が臨み、朝が来るのです。
この時は、主の空中再臨と携挙など、聖書に記されたすべてのみことばがまことだったことを悟るようになり、また、聖徒ひとりひとりがどれほど聖められて報いを積んだのかも、明らかにされます。自分の義と欲、自尊心などがどれほど愚かなものであったか、世を愛する心がどれほどむなしいものだったか、あまりにもはっきりと悟るようになります。
しかし、すでに現れた結果について、変えられる機会がありません。残念だと後悔しても、すでに手遅れなのです。
したがって、朝になる前、すなわち、主の再臨以前に、すべてのみことばをこまめに糧として、花嫁の備えを終えて再臨の主を待たなければならないのです。
愛する聖徒の皆さん、
私たちが神のことばをどれほどよく糧としたのかにより、この地上の人生だけでなく、天国でも場所と報いが違って、生活の質が変ってきます。
したがって、神様が命じられたみことばをそのまま糧とし、将来天国でも最も栄華を極める座に至られますよう、主の御名で祈ります。
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