光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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十字架の道シリーズ[23] 永遠のいのち(1) -信じると言いながらも救われない場合A
万民ニュース
第 60 号
8054
2008. 03. 16
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(マタイ7:21)
「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。不正はみな罪ですが、死に至らない罪があります。」(第一ヨハネ5:16-17)
イエス・キリストを受け入れて、神様を信じる人々の究極の目的は、まことの救いと天国です。もし神様を信じると言いながらも、救われなくて地獄に入ったとしたら、どれほど哀れな者でしょうか。しかし、神様のみこころのとおり行なう者になれば、救われるだけでなく、やがて来られる主に空中で会い、婚宴にあずかります。
この時、福音を聞いても信じなかった人々は、この地上に残って、嘆いたり、うろたえて混乱に陥ったりするようになります。主を信じると言いながら教会に通ったのに、上げられなくて残されたら、どれほど悲しいでしょうか。当然救われるだろうと思っていたのに、そうでない現実を見ると、まことに恐ろしくてみじめでしょう。したがって、主を信じると言いながらも救われれない場合について明らかに悟り、決して死に至ることがあってはなりません。
1. 聖霊を冒涜し、けがし、逆らう場合
聖霊を冒涜し、けがし、逆らうとは、聖霊の働きに背くことを言ったり行なったりして、神様の働きがなされないように立ち向かうことです。これは、神様を知らない世の人々が教会を迫害するのと違って、「信仰があります」と言い、真理を知りながらも、自分の悪により神様の働きに立ち向かうことですから、救われません。
神様の力で病気とわずらいがいやされて、悪霊が退くなどのみわざを見て、むしろ「サタンのしわざだ」と言って、聖霊の働きを冒涜してけがし、逆らったら、どうして神の人だと言えるでしょうか。まことに神様を信じる善良な人ならば、人としてできない、神様の力によるみわざが現れているのを見て、神様に感謝と栄光を帰すようになります。しかし、悪い人々はむしろ聖霊の働きを認めないで、神様に立ち向かうことが見られます。
悪い霊どもは人の病気をいやしたり、わずらいを治す力もないだけでなく、仮にそのような力があるとしても、悪い霊どもが悪霊を追い出し、病気をいやして、神様に栄光を帰すはずがありません。
また、神様が認めておられる、御力を現す神のしもべの働きを妨げることも同じです。これは、神様がともにおられる人を認めないで、その人を用いて現れる聖霊の働きに逆らうことですから、結局神様に立ち向かうことになります。
エジプトを出たイスラエルの民が、食べるものがないのでモーセとアロンにつぶやいたとき、モーセは「あなたがたが主に対してつぶやく、そのつぶやきを主が聞かれたからです。いったい私たちは何なのだろうか。あなたがたのつぶやきは、この私たちに対してではなく、主に対してなのです。」と言いました(出エジプト16:8)。
<使徒の働き>では、アナニヤとサッピラの夫婦が土地を売って神様にささげようと定めましたが、欲が生じて地所の代金の一部を隠して、ペテロに全部をささげるふりをしました。これはペテロを欺いたのではなく、聖霊を欺いたことであり、神様に嘘をついたことですから、悔い改めの機会も得られないまま死んでしまったのです(使徒の働き5:1-5)。
参考までに、聖霊の働きでなく、人が自ら悪霊を呼び入れておいて追い出すこともあります。たとえば、病気になったり困ったことが生じれば、すべてに「悪霊のしわざだ」と言って、自ら認めて悪霊を受け入れるのです。霊の世界の法則により、口で認めたとおりに悪霊が入ります。かといって悪霊に捕らわれるほどではないので、退ければすぐ退くのです。
ある人々は、悪霊を追い出すからとひどい悪口を言ったり、人を殴ったりしますが、真理に照らしてみると合わないし、聖霊の働きでもありません。ひょっとして悪霊につかれたとしても、その人自身は人格的に扱うべきで、ただみことばで命じればよいのです。悪霊を追い出す権威があるならば、ただイエス・キリストの御名で命じるだけでも、悪霊は恐ろしくて直ちに離れるからです。
2. 神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える場合
<ヘブル人への手紙6:4-6>には「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。」と書かれています。
これは、聖霊を受けて恵みの体験をした人が、天国と地獄があることがわかって、真理のみことばを聞いて知って信じながらも、世の誘惑に負けて神様を離れて堕落するので、明らかに神様の栄光をさえぎる場合を言います。たとえ福音を聞いて教会に来た人だとしても、知識的な信仰にとどまっていて、世に落ちてしまったとすれば、いつかまた救われる恵みにあずかることもあるでしょう。しかし、聖霊の働きのうちに恵みを受けて、また世へ帰った人々は、闇でぎっしり満たされて、もっとひどくサタンのしわざを受けるようになります。もともと神様を信じなかった人よりさらに悪を行なって、以前に受けた恵みを否認して、むしろ教会と聖徒たちを迫害したりもします。
このように主の十字架に恥辱を与える人々は、悔い改めの霊を受けることができないので、結局死に至るのです。イエス様の弟子だったイスカリオテ・ユダを見てもわかります。そばでイエス様の働きを見守ったのに、自分の益を求めてイエス様を裏切って、銀貨三十枚で売ってしまいました。そして、イエス様が捕らえられた後に、良心の激しい呵責を覚えて悔い改めようとしましたが、結局悔い改めの機会さえ得られないまま、心の苦しみに耐えられなくて自殺してしまいました。
3. 真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続ける場合
<ヘブル人への手紙10:26-27>には「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」と書かれています。これは、真理を知って「信仰がある」と言いながらも、神様が禁じられた不法をわざと行なう人々を言います。
<ペテロの手紙第二2:21-22>に「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。彼らに起こったことは、『犬は自分の吐いた物に戻る。』とか、『豚は身を洗って、またどろの中にころがる。』とかいう、ことわざどおりです。」とあるとおり、ことさらに罪を犯し続ける人は、罪を犯した後に過ちだとわかって悔い改めても、同じような罪をずっと繰り返すのが見られます。
イスラエルの王ダビデがしばらくの間試みに落ちて、殺人という大きい罪を犯したことがありました。しかしダビデは、預言者が来て叱責すると、直ちに悔い改めて立ち返ります。それによって大きい訓練を受けた時も、へりくだって通り抜け、心の奥の罪の性質までも引き抜いて、神様の前に全き人に変えられました。
一方、サウル王は預言者サムエルが来て悟らせても、「民が願って聞き従わなかったのです」と弁解しました。心の底から悔い改めないで、毎回、毎回、神様の前に罪を犯すようになり、結局罪の隔ての壁が積まれて、見捨てられてしまいました。
今日も同じです。信仰があって真理を知っている人が罪を犯すなら、聖霊が嘆いて悟らせてくださるのですから、徹底的に悔い改めて光の中にとどまり、良い実を結ばなければなりません。しかし、ことさらに罪を犯し続ければ、神様も御顔を背けられるので、悔い改めの霊を受けることができなくて、結局御霊が消されてしまうのです(第一テサロニケ5:19)。
人が悔い改めて赦しを受けようとしても、神様が悔い改めの霊を与えてくださらなければならないし、その悔い改めを受けて赦してくださらなければなりません。神様の前に悔い改めて、罪の隔ての壁を壊さなければ、<出エジプト記32:33>に「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。」と言われたとおり、一度神様のいのちの書に名前が記されたとしても、その名前が消されるようになるのです(黙示録3:5)。
愛する聖徒の皆さん、
このように死に至る罪を犯せば、悔い改めの恵みを受けることができなくて、救われないということを悟り、決して死に至る罪を犯してはいけません。
また、死に至らない罪だからといって、罪を犯してもよいのではなく、捨てないで持っていれば、聖霊に満たされることができなくて、むしろサタンに惑わされて死に至る罪を犯すこともあり、救われるとしてもやっと恥ずかしい救いに至るしかありません。
したがって、罪は血を流すまで戦って捨てて、悪はどんな悪でも避けて、再び来られる主を喜びをもって迎えられますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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