光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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十字架の道シリーズ[22] - 永遠のいのち(1)-信じると言いながらも救われない場合@
万民ニュース
第 59 号
7810
2008. 02. 18
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(マタイ7:21)
「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。」(第一ヨハネ5:16-17)
<マタイの福音書25章>で、賢い五人の娘は花婿を出迎えるために、ともしびとともに油を充分に用意していたけれど、愚かな五人の娘はともしびだけあって、油がありませんでした。花婿が到着するという声が聞こえて、愚かな五人の娘は急いで油を買いに行きましたが、彼女たちが戻った時は、すでに婚礼の祝宴の戸が堅く閉じられていました。
ここで「十人の娘」とは天国を望む聖徒たちを、「花婿」とはイエス・キリストをたとえています。大切なことは、賢い五人の娘だけが婚宴に入って、残りは入れなかったということです。このように、愚かな五人の娘のように救われない場合があります。
それでは、信じると言いながらも救われないとは、はたしてどのような場合でしょうか?
1. 不法をなす人
<マタイの福音書7:21>には「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」と書かれています。イエス様に「主よ。主よ。」と言ったとしても、イエス様が救い主だと悟って、救い主ですと告白する人のうちにも、天国に入れない人がいるということです。
続く<22-23節>には「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」とあります。いくら主を信じると言って、主の御名でどんなことを行なったとしても、不法をなす者どもに対しては、主が「わたしはあなたがたを全然知らない。」と言われるのです。
それで世の終わり、すなわち、さばきの時になれば、主は、不法をなして、むしろ他の人までつまずきを与えていた正しくない人々を分けて、火の燃える炉、すなわち、地獄の刑罰の中に置かれるようになります(マタイ13:40-42)。
ここで「不法」とはどんなことでしょうか? <ヨハネの手紙第一3章4節>に「罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。」とあるので、真理の法、すなわち神様のみことばを破ることが不法であり、罪です。聖書に「してはならない」と言われたことをする人、「捨てなさい」と言われたことを捨てない人、「しなさい」と言われたことをしない人、「守りなさい」と言われたことを守らない人、このような人がすなわち、罪を犯している人です。
<コリント人への手紙第一6章9-10節>にも「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。」と書かれています。
また、<ローマ人への手紙14章23節>には「信仰から出ていないことは、みな罪です。」とあり、<ヤコブの手紙4章17節>には「こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です。」と書かれています。
結局、神様が喜ばれないすべてのことが罪であり、不法になるのです。いくら「主を信じます」と告白しても、罪から立ち返らないで不法を行なえば、神の国、すなわち、天国を相続することがありませんので、地獄に行くしかありません(ガラテヤ5:19-21)。
ひょっとして、このようなメッセージを聞けば、「初心の者が嘘をついたけれど、そのために救われないというなら、救われる人がどれほどになるでしょうか?」という疑問がわくこともありえます。
主を受け入れたからといって、直ちに罪がすべて捨てられるのではありません。まだ罪がすべて捨てられなかったとしても、祈って努力して変えられていく人は、変えられるために努力する、そのこと自体でも神様は「救われる信仰がある」と認めてくださいます。
しかし、罪を捨てようと努力もしなくて、相変わらず罪を犯して、むしろ世にますます染まっていったら、「信じます」という告白も嘘になるのです。
2. 死に至る罪を犯した人
罪の中には、悔い改めて捨てるために努力して赦される罪もありますが、そうでない罪もあります。
<ヨハネの手紙第一5章16-17節>には「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。」と書いてあります。
死に至らない罪を犯した人々のためには、熱心に勧めて祈ってあげて、罪から立ち返るようにしなければなりませんが、そうでない死に至る罪もあるのです。
それでは、死に至る罪とはどんなものでしょうか? それは、聖霊を冒涜し、けがし、逆らう場合です
<マタイの福音書12章31節>に「だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。」とあり、<ルカの福音書12章10節>には「たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。」とあります。
「聖霊を冒涜する」とは、聖霊の力で現れる神様の働きを見て、悪霊のしわざだ、サタンのしわざだと言って、聖なる聖霊様をけがれた悪霊やサタンだと冒涜することです。
また、「聖霊をけがす」とは、聖霊の働きが現れるのを見ても、自分の悪のため神様の働きとは認めず、神様の働きを妨げることです。たとえば、聖霊の働きが満ちあふれるように現れる教会を見て「異端だ、間違っている」と言って流言飛語をまき散らし、はかりごとをめぐらす場合です。これは創造主の神様に立ち向かい、神の国の実現を妨げることですから、恐ろしい罪です。
さらに、聖霊の働きに立ち向かう計略を立てて直接行なうなど、妨げる行ないがもっと大きく現れる時は「聖霊に逆らうこと」になります。
<マルコの福音書3章20-22節>にはユダヤ人たちが聖霊を冒涜して、けがし、逆らう場面が出て来ます。「イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったのだ。』と言う人たちがいたからである。また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、『彼は、ベルゼブルに取りつかれている。』と言い、『悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。』とも言った。」とあります。
イエス様の噂を聞いた人のうち、善良な人々は信じて神様に栄光を帰しましたが、悪い人々は悪い話を作り、伝えました。しかも聖書を研究するという律法学者、パリサイ人たちが先に立っていたのです。
すると<マルコの福音書3章23-26節>に「そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。『サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。』」とあります。これは、悪い霊の世界も徹底して秩序を維持していて、悪霊が悪霊を退けることはないし、サタンがサタンを退けることもないということです。
続く<28-29節>に「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」と言われたとおり、聖霊様の働きを見ながら、悪霊のしわざだと冒涜して、けがして、逆らう人ならば、どうして救われるでしょうか?
神様を信じると言いながらも、聖霊の働きをそねんでけなして「不思議としるしは二千年前にだけあったことだ。神様と交わる啓示は遠い昔に終わった」と言い、聖霊の働きをむしろサタンのしわざとか、異端だ、間違っていると言う場合もあります。
きのうもきょうも、いつまでも同じ神様は、今日も神様に喜ばれる人々を用いて不思議としるしを現され(ヨハネ4:48)、これによってご自身が生きておられることを証しされているのです。ですから、このように神様が聖霊の働きとして現されたことを妨げるとき、神様に立ち向って聖霊をけがすことになるのであり、赦されない罪になるのです。
それでは、続いて次の号で、死に至る罪にはどのようなものがあるのか伝えます。このメッセージで、神様を信じると言いながらも救われない場合があることを悟り、決して死の道に行くことがあってはならないし、まっすぐに伸びた近道で天国まで至られますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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