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十字架の道シリーズ[19] - イエス様の十字架上の七言(3)
万民ニュース
第 56 号
7540
2007. 11. 11
<目次>
1. 第一、二言
2. 第三言
3. 第四、五、六言
4. 第七言
「三時ごろ、イエスは大声で、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』と叫ばれた。これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』という意味である。」 (マタイ27:46)
「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは渇く。』と言われた。・・・イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハネ19:28-30)
ほとんどの人々は臨終が近づけば、過ぎ去った人生を振り返って家族と隣人に遺言を残し、家族はその遺言を大切に思います。同じように、救い主として来られたイエス様が十字架につけられ、亡くなられるとき、遺言のように最後に残されたお言葉があります。それが十字架上の七言です。
神の御子として人間の救いの摂理を完成された、イエス様の十字架上の七言を通して、主の心を明らかに悟ってこそ、まことの神の子どもになれます。前回に続き、十字架上の七言のうち、第四言から第六言について伝えます。
第四言「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
<マタイの福音書27:46>の「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」というお言葉は「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味です。これは、イエス様が神様を恨んでおられるとか、十字架の苦しみにより嘆かれたのでは決してありません。
イエス様は、この地上に来られる前から十字架の苦しみについて知っておられましたし、神様の摂理を成し遂げるために喜んで十字架の道を選ばれたのですから、神様を恨まれるはずがありません。このお言葉には霊的に重要な意味が含まれています。
まず、イエス様が「大声で」叫ばれた理由があります。イエス様はひと晩中引き回されて尋問を受けられ、激しいむち打ちにあわれ、十字架に釘づけられたまま六時間、血を流してつけられておられました(マルコ15:25)。ですから、大声を出すほどの気力が残っていなかったのに、力を尽くして大声で叫ばれたということは、すべての人々がこのお言葉を聞いて「なぜイエス様が神様に捨てられなければならなかったのか」「なぜ残酷な十字架につけられなければならなかったのか」を悟るように望まれたからです。
その当時、イエス様は呪われた十字架につけられるまで、神様から徹底的に捨てられた状態です。これは、すべての人類の罪を贖い、天国に導かれるためです。すべての人が律法の呪いによって神様から捨てられる運命だったので、イエス様が代わりに呪われて、神様から捨てられたのです。まさにこのような意味をすべての人々が悟れるように、イエス様は全力を尽くして叫ばれたのです。
聖書を調べてみれば、イエス様は神様を呼ぶとき、いつも親しげに「父よ。」と呼ばれました。ところが、唯一本文では「わが神」と呼んでおられます。その理由はまさに、呪われた罪人の身分で十字架につけられたので、聖なる神様をあえて「父よ。」と呼ぶことができなかったからです。同じように、皆さんが主を信じていると言いながら、神様のみこころどおり生きることもせず、神様に敵対する悪魔・サタンが惑わすままに生きていきながら、神の子どもとして大胆に「父よ。」と呼ぶことはできません。
次に、神様が罪人たちのためにひとり子まで渡してくださったのに、相変わらず数多くの人々がこれを知らずに世と友になり、死の道へ向っているからです。すべての人々がイエス様が十字架につけられた理由を悟って、救い主として受け入れて、いのちを得てほしいと願われ、大声で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれたのです。
したがって、イエス様が私たちの罪のために捨てられて、十字架につけられて死なれたことを心の底から信じたら、これ以上罪の中にとどまらず、聖なる区別された人生を送りながら、神様を「父よ。」と呼べる子どもたちにならなければなりません。また、十字架のことばを熱心に伝えて、真理を知らずに死へ向っている人々を救いの道に導かなければなりません。
第五言「わたしは渇く。」
<ヨハネの福音書19:28>を見れば、旧約聖書の預言が成就するように、イエス様が「わたしは渇く。」と言われたことがわかります。人が血を大量に流せば、激しいのどの渇きを感じます。しかもイエス様は、イスラエルの乾燥した気候の中、長い時間熱い太陽の下で十字架につけられていたのですから、どれほどのどが渇かれたでしょうか?
かといって、イエス様が単に肉的なのどの渇きを訴えようと「わたしは渇く。」と言われたのでなく、これには霊的な意味が含まれています。これは、イエス様の血の代価に報いることによって、その渇きを解消してほしいと頼まれた霊的なお言葉です。
それでは、私たちはどうすればイエス様の血の代価に報いることができるでしょうか? イエス様が血を流された理由は、罪人となった人類を贖われるためです。したがって、イエス様の血の代価に報いるとは、まさに地獄へ向っている魂を救うことです。直接伝道するほかにも、魂の救いのために祈ることや、宣教のために献金することなど、間接的に魂を救うことができます。
イエス様が「わたしは渇く。」と言われると、ある人が海綿に酸いぶどう酒を含ませて、イエス様の口もとに差し出しました。この時、イエス様が酸いぶどう酒を口にされたのは、渇きを解消しようとされたためではなく、旧約の預言(詩篇69:21)どおり、酸いぶどう酒を味わわなければならない、という霊的な意味があるからです。
イエス様が酸いぶどう酒を味わわれたことは、イエス様は酸いぶどう酒を召し上がり、私たちには新しいぶどう酒を飲むようになさった、ということを表しています。古くなり酸っぱくなったぶどう酒は、旧約の律法を意味し、新しいぶどう酒は、イエス様によって完成された新約の愛の律法を意味しています。
旧約の律法によると、罪人たちは必ず罪に伴う刑罰を受けなければならず、罪の赦しを受けるためには、毎回動物をほふり、血のいけにえをささげなければなりませんでした。ところが、イエス様ご自身が罪のためのいけにえとなって、十字架で亡くなられたことによって、律法のすべての呪いを贖われたので、私たちのために酸いぶどう酒を受けられたのです。
したがって、イエス・キリストを信じて、心の底から悔い改めれば罪が赦されますが、これがまさに新しいぶどう酒を飲むということです。イエス様はこのようなことを悟らせようと、「わたしは渇く。」と言われて、酸いぶどう酒を受けて口にされたのです。
第六言「完了した。」
<ヨハネの福音書19:30>には「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」と書かれていますが、ここで「完了した。」とは、人類の贖いの摂理をすべて成し遂げられた、すなわち、愛で律法を全うされたという意味です。
律法によると「罪から来る報酬は死です。」から、すべての罪人たちが死の刑罰を受けて、地獄に行かなければなりません。また、神の民が罪を赦されるためには、毎回牛や羊をほふり、血のいけにえをささげなければなりませんでした。しかし、イエス様が十字架で亡くなられたことによって、すべての律法の呪いを贖ってくださいました(ヘブル7:27)。
イエス様の贖いの過程は、人が想像できないほどのとても大きな愛によって完成されました。尊い神の御子がこの地上に来られ、哀れな魂たちに御国の福音を伝えられ、すべての病気とわずらいをいやしてくださいました。罪人たちの手に捕らえられ、むち打たれていばらの冠をかぶられ、手足に釘を打たれるという、あらゆる苦しみにあってくださったのです。
このような途方もなく大きな愛と犠牲によって、人類を支配していた敵である悪魔・サタンの死の力を打ち砕かれたイエス・キリストを信じることで、永遠のいのちを得て、天国に入れるようになったのですから、私たちは何をすべきでしょうか? イエス様が御父の摂理をすべて成し遂げて、王の王、主の主になられたのですから、私たちも、神様のみこころをすべて成し遂げなければなりません。
私たちに向けられた神様のみこころとは、まさに完全に聖められることであり、完全に忠実な者になることです。御霊の九つの実、霊の愛、八つの幸いを心に耕して、「地の果てにまで、わたしの証人になります。」と言われたとおり、熱心に魂の救いに力を尽くさなければなりません。そうしてこまめに花嫁の備えを終えて、与えられた使命を完全に果たして、また来られる主を迎えるとき、「完了しました。」と告白できなければなりません。
愛する聖徒の皆さん、
十字架上の七言の霊的な意味を悟って、心に深く刻み、毎日神様の前にふさわしい生活を送って、将来天国でも最も栄光ある所で、永遠に主とともにとどまられますよう、主の御名で祝福して祈ります。
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