光として輝く_ 「神は光であって」シリーズ9
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光である神は、ご自身の子どもたちが明るい太陽のように真理の光で暗い世を明るく照らすことを望んでおられる。 ...
十字架の道シリーズ(13) - いばらの冠をかぶられた摂理
万民ニュース
第 50 号
7758
2007. 3. 25
「…イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、それから、『ユダヤ人の王さま。ばんざい。』と叫んであいさつをし始めた。また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。…」(マルコ15:16-20)
イエス様は、罪人になったすべての人類を救うために、この地上に来られて多くの苦しみにあい、十字架につけられて死なれ、復活して昇天されました。これによって誰でも救い主になられたイエス様を信じれば、神の子どもとされた特権を与えられるようになったのです。
ところで、イエス様が受けられた苦しみを具体的に知れば、神様の愛をさらに深く悟って、熱い信仰生活ができます。むちに打たれて血を注ぎ出された摂理、いばらの冠をかぶられた摂理などがわかれば、神様の愛に感動しないわけにはいきません。
前号ではむちに打たれた摂理を説明しましたが、続いていばらの冠をかぶられた摂理について調べます。
1.イエス様がいばらの冠をかぶられた理由
イエス様は神の御子として、栄華を極める冠をかぶるにふさわしい方であられます。
それでも、十字架の苦しみにあいながら、鋭いいばらの冠をかぶられました(マルコ15:17)。ローマの兵士たちは長くて硬いトゲがついているいばらで人の頭より小さい冠を作り、イエス様の頭の上から押しつけてかぶせたのです。
長くて鋭いトゲがイエス様の頭に食い込むと、皮膚が裂ける苦しみとともに顔は血で染まりました。イエス様がいばらの冠をかぶって血を流された理由は何でしょうか? 人の思いにより犯す罪を赦してくださるためです。
人は、心に真理に逆らうものがあるために、真理に逆らう思いをして、悪い感情をいだきます。この世では、いくら悪い思いと心を持っていても、行いとして現さなければ罪だと言いませんが、聖書には、心に罪をいだくことや思いで罪を犯すことも罪だ、と書かれています(マタイ5:28、第一ヨハネ3:15)。
人の頭には、知識を入れて活用できる記憶装置があります。人が生まれてから見て聞いて習ったことが、感じとともに入力されますが、これがまさに知識です。人によって成長した環境と学習が違い、同じ環境で同じ人から教えられたとしても、各自がどんな感じで受け入れたのかが違うために、価値観も違って、善悪を判断する基準も違います。
このように知識が必要に応じて再生されて出てくるものを「思い」と言いますが、人によって知識が違うために、同じ場面を見ても違うように思われるのです。それで、ある国で教養ある行動が、他の国では礼を欠いた行動だと非難されることもあります。また、世の人々の思いはサタンに働きかけられるので、真理と合わないことがほとんどです。
たとえば、誰がほめられれば、サタンは真理に逆らう思いに働きかけて、不満や落胆を持ってきます。しかし、真理の知識だけあるならば、サタンが思いに働きかけることができないので、「あの人がほめられていいな」と、真理とともに喜ぶのです。人は、生まれてから真理に逆らう知識を積み重ねて生きてきたので、思いも結局は真理に逆らうしかありません。しかし、真理に逆らう知識を真理に変えていけば、思いもまた、真理の思いに変えられるのです。
そのためには、みことばをこまめに聞いて糧としなければなりません。霊とまことで礼拝をささげて、ただ「はい」と「アーメン」でみことばを心に受け、自分を変えていけば、すみやかに霊に入り、真理の思いだけすることができます。
2.神様に敵対する肉の思い
ある人々は、神様のみことばを聞きながら、自分の思いに合えば「アーメン」と言いますが、知識と経験に合わなければ「それは違いますが」と言います。みことばが信じられなくて、神様のみこころと対立する思いをするのです。このように神様のみこころと対立する思いを「肉の思い」と言い、肉の思いをさせるものは、まさにサタンです。
聖書には、イエス様がやがて神様の摂理のうちに十字架を負われることを語られると、ペテロが「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と言う場面が出てきます。これは、ある見方では師を愛する弟子の当然な道理のようですが、神様のみこころが果たせないようにする肉の思いなので、イエス様は「下がれ。サタン。」と、厳しく叱責されました。
このように肉の思いは、肉の人には賢くて善のように思えますが、神様に敵対するものであり、神様とは関係がなくなります(ローマ8:7)。
私は神様に出会ってからは、肉の思いを働かせて神様のみことばを疑ったことが、一度もありませんでした。どんな医師も治せない私の病気を一気に治してくださった神様の力を体験したので、神様が天地を創造して、太陽と月を止められて、葦の海を分けられたということも、イエス様が死んだ人を生かされたというみことばも、完全に信じました。
それで、私は聖書に記されたすべて神様の命令も守り行えました。また、神様が全能であられることを信じるので、どんな難しい状況に置かれた時も、ただ祈りで神様だけに頼りました。すると、神様は驚くべきみわざを必ず施してくださいました。私たちが肉の思いを働かさないで、ただ神様だけにより頼めば、神様は必ず働いてくださいます。人が自分の知恵と方法を働かすために、神様が働かれないのです。
3. 肉の思いを捨てて、霊の思いをするには
人の理論と知識の中で神様のみことばが信じられないようにして、聞き従えないようにする思い、これがすべて肉の思いです。ところで、人々は数えきれないほどこのような肉の思いをしながら生きていくので、皆が神様に敵対していたのです。それなら、思いで犯した罪が赦された私たちは、どうしなければならないでしょうか?
<第二コリント10:5>にあるとおり、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させなければなりません。つまり、肉の思いを捨てて、正しいと思ってきた知識も、神様のみことばから外れるものは捨てるべきです。
私たちが思いで犯す罪を捨てるためには、心を聖なるものにしなければなりません。<第一ヨハネ2:16>に「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」とあります。
心に悪があって、世を求める属性がぎっしりある時は、肉の思いが浮び上がるものです。肉の欲があれば世の欲が良く見えて、そのようなものを求めて、肉の欲がさらに深くなれば、肉の行いをしたくなるのです(ガラテヤ5:19-21)。
目の欲とは、「目で見て耳で聞くことを通して心が揺れ動き、肉のことを求めさせる属性」です。このような目の欲があるために、人々はますますこの世的で情欲的なものを求めるようになります。
暮らし向きの自慢とは、「現実のすべて享楽を追って、自分を表すために自慢しようとする属性」です。暮らし向きの自慢により、高くなって認められようとして名誉と権力などを取ろうとするのです。このような肉の欲と目の欲、暮らし向きの自慢を捨てれば、神様が喜ばれる霊の思いができます。
4. 天国に美しい冠を備えられた神様
イエス様がいばらの冠をかぶられたので、私たちは将来天国に行って、美しい冠をかぶることができるようになりました。
この地上でどんな生き方をしたかにより、いろいろな冠が準備されています。
例をあげれば、主を受け入れて真理を聞いたので、罪と戦ってこれを捨てようと努力した人に与えられる「朽ちない冠」(第一コリント9:25)、罪と戦ってこれを捨てて、みことばどおり生きながら神様に栄光をささげた人に与えられる「栄光の冠」(第一ペテロ5:4)、神様を愛して、死に至るまで忠実であり、悪はどんな悪でも避けて聖められた人に与えられる「いのちの冠」(ヤコブ1:12、黙示録2:10)などがあります。また、完全に聖められて、神様に喜ばれる信仰で使命をよく果たした人々は「義の冠」(第二テモテ4:8)を受けるようになります。
<ヨハネの黙示録4:4>には、天国の長老たちがかぶる「金の冠」のことが記されていますが、ここで「長老」とは、神様が信仰を認められる、完全に聖められて全家を通じて忠実だった、永遠に変わらない純金のような信仰を持った人々です。このように神様は、ご自分の子どもたちがこの地上でどれほど聖められて忠実であったのかによって、それぞれ違う冠を下さいます。
愛する聖徒の皆さん、
神の御子イエス様がいばらの冠をかぶられたので、私たちが思いで犯す罪を贖われただけでなく、将来天国では美しい冠をかぶることができるようになりました。
このような神様の愛に感謝して、聖なるきよい心を成し遂げて全家を通じて忠実であり、将来新しいエルサレムで美しい冠を受けられますよう、主の御名で祈ります。
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