愛する人の代わりに自分の命を渡すことは、まことに感動的なことです。 しかし、誰かの代わりに自分の命を渡さなければならないことがあらかじめわかっていても、その人を愛することは容易ではありません。このように、人の愛には限界があるのです。 ところが、神様は、罪人たちが神様のひとり子イエス様をどれほど迫害して侮辱するかも、また、結局は十字架につけて殺すこともご存じでした。 それでも永遠の死に行くしかない罪人たちを救おうと、神様はこの地上にイエス様を遣わされたのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
文/イ・ジェロク牧師 ソウル新聞で連載中のコラム「道」より
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