ある息子が父からあらかじめ財産をもらって、遠い国で放蕩三昧の暮らしをした後、一文無しになった。悪いことは重なるもので、大ききんになって豚が食べるいなご豆さえ手に入らないほど落ちぶれました。その時初めて、息子は心深く過ちを悔いて、へりくだった心で戻って来た。この時、父は昼も夜も待っていた息子の姿を遠くから見つけた。走って行き、息子をひしと抱いてあげた。それだけでなく、良い着物を着せて、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせて、肥えた子牛をほふり、祝宴を開かせた(ルカ15:20-24)。これがまさに父なる神様の心である。 神様はひとりの魂を全世界より尊く思われて、悔い改めて立ち返る子どもをそのふところにいだいてくださり、限りない赦しと愛を施してくださる。
「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。」 (マタイ11:2)
文/イ・ジェロク牧師 韓国日報に連載中のコラム「道」より
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